心の中の轍(わだち)

こんにちは。

今日も徒然なるままに書き連ねます。

先日、このような記事を書きました。自分で書いておいて言うのも何ですが、心の中にはたくさんの轍があるものだなと感じております。

轍(わだち)の力

こんにちは。 轍(わだち)とは、車が通った後に残る車輪のあとです。 砂利道や草地の農道だと、轍を走ると滑らかに通過できますよね。雪道などは最たる例で、轍を外れる…

習慣、思考の順序、行動の順序、好むこと、嫌うこと、それぞれが心の中に轍を作っていると思います。

新しい行動を始めて習慣化したい時、上手くいかないと三日坊主と揶揄したりします。

しかし、よくよく考えると、その人にとって「始めたばかりの行動」が、まだその人のとっての「当たり前」になっていないから行動が続かないのは当然だと思います。

心の中に轍ができていないから、元の過ごし方(今ある轍、その行動をやっていない状態)に戻ろうとするのであって、それは当然な現象です。むしろ、自分の恒常性がうまく機能していますねと誉められるかも。

過去に、コーチングの学びをした時、信念を変えるには短くても数ヶ月は必要と教わりました。個人の実感とも一致します。まず思考などの信念が形作られて、それから行動に反映されます。

信念は、写真のネガや映画のフィルムみたいなもので、信念(ネガ・フィルム)がはっきりしないと、映像(行動化)に映し出せないと思います。

新しい行動を始めて、習慣化したいなら、しっかりとした信念形成が必要です。なぜそれをするのか、そうすることで何が得られるのか、それを自分は心地よいと思うのか、これらは最低限に考えておかないといけません。

自分が好まないこと、やる理由が曖昧なものは、そもそも行動しなければならない必然性がないので、どうでもいい行動なのであれば脳や心は無意識に除外するのだと思います。

行動が定着するまでは、ひたすら練習、試行錯誤の連続です。やっていく中で、信念にも磨きがかかると思います。そうやっていく内に、だんだんと心の中に轍が出来ていくと思います。

一旦、心の中に轍が出来てしまえば、後は実際に轍の道を通る如く、簡単に進めるのではないでしょうか。

個人的に関心があるのは、轍はたくさん作ることができるのかどうか、です。世に、二刀流は稀であるように、たくさんの轍は脳の容量の分散を招きかねないなと思うのですが、果たして。

こういった話、曖昧なことを言わないで、理論的に言わなければ・・・と思わなくもないのですが、純粋に自分(人間)の心を見つめて、考える姿勢があっても良いかなと思ったりもします。(理論的な事柄はネットを検索すれば山ほど出てくるわけで、わざわざここでそれを出す意味もないと思います。)

何にしても、心の世界は深く、広く、退屈知らずです。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
あなたのミカタ(味方となり、強みを再確認し、見方を再構成し、やり方を一緒に考える)となって、ソーシャルワーク&カウンセリングを駆使して、あなたの今ここからの歩みをお手伝いします。

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