支援者たる、援助職(ソーシャルワーカーやケアマネジャー等)や医療従事者(医師、看護師、療法士等)等は、人間に関わる非常に繊細な作業を日々行なっております。感情労働と言われるように、感情の抑制、忍耐が必要で、非常に頭脳を使います。そして、とても高い期待を担い、日々、少なからず緊張を抱えます。それが習慣化すると自分がどれほどの負荷を抱えているかが分からなくなり、体に不調を覚えることでようやく、積もり積もった重荷に気付くことがあります。

また、高度で濃密な業務内容と寄せられる高い期待ゆえに、クライエントや患者さん、時には同職種、他職種からも厳しい言葉を向けられることがあります。支援者も一人の人間ですから、自分でも期待した結果が得られなければ少なからず落ち込み、ましてや他者からの叱責等を受ければとても傷付くのは当然のことです。鍛えられるという側面もありますが、個人的に10年前、20年前とくらべても、どんどん社会からの、人々からの要求水準が高まっているように思います。「失敗して覚える」ことすらままならず、失敗しようものなら激しく非難されることも珍しくありません。しかし、人は完全ではありません。ましてや、人間相手なのですから。

僕もそうですが、支援者を目指す人には、相応の強い思いがあります。大変な一方、強いやりがいのある支援者を目指そうとするからには強い動機づけがあるのは陽三に固くありません。中には十代の早々から、憧れて、その職を目指したということもあります。ただ、その憧れとは裏腹に、現実は容易ではありません。時に打ちひしがれ、心が折れそうになることがあります。自分の人生の指針ともなっていた職業への憧れが砕かれる時は、自分の人生の一大事であり、生き方の調整が求められることがあります。

専門職として、先輩、上司、熟練者からの指導、スーパービジョンを受ける機会もあると思います。しかし、指導やスーパービジョンには、指導する側とされる側という権威勾配があり、胸の内を、私的な思いを必ずしも吐露できないこともあります。そもそもの目的が指導なので致し方ありませんが、支援者には支援者のためのカウンセリングが必要であると思います。

僕も、若い自分、仕事上の指導の必要性と共に、非常に難しい業務の遂行の中で疲れ果て、傷付いた思いの吐き出し先がなくて悩んだことがあります。却って、上司や同僚だからこそ言いにくいこともあります。だから、第三者によるカウンセリングが適している場合もあります。そして、支援者の業界の大変さを分かっているカウンセラーが聞くことで、よりその大変さに共感がしやすい利点もあります。

支援者であり続けるためにも、支援者こそ、支援が必要であり、それは何ら恥ずかしいことでもなく、当然のことです。助け上手は、助けられ上手。おそらく、あなたが支援者として患者さんやクライエントに言い続けてきた「無理し過ぎない」「自分を大事に」の言葉を、あなた自身が実践してみましょう。あなたが支援を受けた経験が、あなたの普段の支援の実践にも必ずや活きてくることでしょう。