ソーシャルワーカー(カウンセラー)

略歴
詳細
医療ソーシャルワーカー、ソーシャルワーク部門管理者、経営幹部、職能団体の長を経験。業務開発、研修講師、成年後見、地域活動等いろいろやりました。青森県八戸市に転居し、2022年6月に結い心理相談室を開設。
資格
- 社会福祉士
- 精神保健福祉士
- 公認心理師
自分のこと
- 内向型傾向強め
- のんびりと読書しながら思索するのが好き
- ミニマリスト志向
好きなこと
- 整理整頓
- 自然の風景と音
- 洗練された綺麗な言葉
ソーシャルワーカー(カウンセラー)になったきっかけ
ひとりの人に向き合い続けたい
子どもの頃から医療のお世話になり、中学生の頃は医師に憧れておりました。
同時に、悩みというものを覚え始めた時でもあり、悩みに押しつぶされそうな中、自分は悩んだり困っている人のためにカウンセラーになりたいと思いました。人生の意味、人が生きることとはどういうことかを真剣に考え始めて探究し始めた時でした。
高校生の時に医療ソーシャルワーカーという仕事があるのを知り、医療への憧れと人を支えることの二つを実現するのはこれしかないと心に決めて福祉系の大学への進学を決心しました。
医療ソーシャルワーカーの世界では人が生きる上で生じる生活上の多種多様な悩みや困難があることを知りました。人は一人で生きているようで家族や地域や社会制度などいろんなことに支えられていると知りました。人と環境の相互作用の奥深さも学びました。とても充実した日々でたくさんの支援経験、組織の中での役割を経験させていただきました。
中でも、思いがけずも管理職として部署の運営管理を経験し、組織幹部として所属組織の経営経営に関わったこと、また、職能団体の理事を務めたことは得難い経験でした。組織管理の奥深さを知ることができました。
一方、組織だからできる「たくさんのこと」があると同時に、自分が目を向けたい「大事なこと」に目を向ける余裕がないことに気づきました。自分の原点に帰って、自分が本当に大切にしたい「たった一人の、たった一つの心に寄り添って、その人にただホッとして欲しい」を実現したいと思いました。
家庭の事情で青森県八戸市に転居したことを機会に個人事業で個別相談(カウンセリング等)を行う運びとなりました。クライエントに「大丈夫」と思っていただきたい、「何とかなる」と安堵して欲しい、絡まった糸が解けて欲しい、クライエントがこれまで生きてきた物語を大事にしながら。人や社会に繋がれ(結び)、新しい気づきや認知に繋がり(結び)、これからもその人の物語が繋がる(結び)ことを大事にしたいと思い、「結い心理相談室」を立ち上げました。
カール・ロジャーズの「治そうとするな。わかろうとせよ」の言葉が大好きです。クライエントに「自分のことがわかってもらえた」と思っていただけることが、どれだけクライエントを安心させることか、力づけることかをソーシャルワーク実践の中でたくさん教わりました。クライエントが真にホッとして喜んだ表情を見るとこちらも、同じくらいに嬉しくなります。
結い心理相談室でもその続きができるように、そんな個別相談が展開できるようにと思い描きながら。
「支援者への支援」に対する思い
支援者の傷付き
僕はソーシャルワーカーを経験して、大変さとやり甲斐が表裏一体であったと感じます。この均衡が崩れた時、果たしてどうなるものか。「よくあれを乗り越えられたな」と思うことも何度もありました。それ程までに、楽しさだけでは語られない大変さ、苦しさもあったからです。これを全く言わずに、ただ「楽しい」とだけ形容したら、それでは嘘になってしまいます。
僕自身、クライエントやそのご家族からの厳しい言葉、組織内でも期待に応えられないがための叱責、連携機関からの厳しい評価を受けたことは何度もあり、何度も打ちのめされそうになりました。当たり前ですが、支援者だって傷つくのです。人の熱を感じられる至近距離で受ける傷は、思いの外に痛くて堪らないのです。さながら素手で豪速球を受け止めるようなものです。
「やって当然」と思われるため支援者の傷や痛みはあまり注目されませんが、絶対にケアが必要です。
ソーシャルワーク部門の管理者(マネージャー)として
かつての初任者も時を経て中堅となり、熟練者と言われるようになります。僕も部署を管理する立場となりました。初めて部下を持った時、潰れずに長く働いてもらうためにも、仕事を教えると共に、まず自身の身を守ること、自身を癒すことを教えなければならないと思いました。
そして、自分自身、慣れない管理業務をすることにもなり、理論だけ学んでも落とし込むのが不可能な管理職業務には大変悩まされました。今でも、「管理職」と検索すると、悩まれている方がたくさんいると分かります。手探りで管理業務にあたる各組織の管理職の苦悩に思いを馳せずにはいられません。
「やって当然」と思われるため管理者の傷や痛みはあまり注目されませんが、絶対にケアが必要です。
職能団体の長(リーダー)として
思いがけずにリーダーを拝命することもあります。僕も職能団体の長を三十代前半に経験しました。「なんで僕なの」「自分なんかがやっていい事じゃない」「恐い、嫌だ。逃げ出したい」と何度思ったか分かりません。引き受けた理由は「逃げ出す」勇気もなく、「断れなかったから」です...。
リーダーとは何かを手探りで覚え、模索しました。プレイヤー(実践現場担当者)、マネージャー(管理者)、リーダー(長)とでは、役割が異なります。渉外、ビジョン作成、活動計画、組織内整備等、目を配るべき範囲は多岐に渡ります。今となっては「もっと適当で良い」と思えるのですが、やっている時はそうは思えないものです。
個人的には、元来、内向的で非常に苦手に感じる場面(特に、大勢の前での挨拶等)は多々あり、消耗の度合いは非常に大きかったのは事実です。事が起こればすべての矢面に立つのはリーダーだからです。もっとも、「内向的は武器にもなる」ということもよ〜く分かったのは大きな収穫でした。ただ、「やって当然」と思われるためリーダーの傷や痛みはあまり注目されませんが、絶対にケアが必要です。
すべての役職者に支えが必要
マネージャー(管理者)、リーダー(長)ともなると、人前で安心して弱音を吐くこともままなりません。不用意なことを口にすると、動揺が走り、その言葉が一人歩きするからです。当人は何も変わらなくても、周囲の当人を見る目が変わるからです。そういったことも含めて、マネージャー(管理者)、リーダー(長)はとかく『孤独』とならざるをえない側面は間違いなくあると思います。これは、なって初めて気付いたことです。
しかし、拝命後、対応ができなければ、内なる力が枯渇した時に燃え尽きてしまうでしょう。そして、マネージャー(管理者)、リーダー(長)の元気がない状態は、組織や集団に良い影響を及ぼしません。だからマネージャー(管理者)、リーダー(長)から『大丈夫だよ』という雰囲気が漂っていることはとても大事なことであり、同時に、一人では決して成し得ないことです。組織内の協力も不可欠ですが、マネージャー(管理者)、リーダー(長)が安心して悩みや弱音を打ち明ける場を確保することは、同じくらい大事なことだとも思います。
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