塞翁が馬
こんにちは。
人には、世の中のことも、自分自身のことも、その成り行きも分からないことだらけです。
もう少し分かったらならば、見えたならば、予見できたならばと、そう思わずにはいられないことがあります。
時々、自分の過去を思い返して、あの出来事は無駄だっただろうか、無かった方が良かっただろうかと思うことが、正直言うとあります。
しかし、あの出来事(自分には上手くいかなかったと思う苦い事柄)があった故に、行き詰まって、違う手段を、違う道を、本当に良い道を、自分の心に適う道を見つけられたのは間違いありません。
昔、ソーシャルワーカーであることが自分の全てでした。人事異動で、ソーシャルワーカー以外の役割を求められた時、自分が自分ではなくなるような思いをしました。
しかし、そのことの故に、モノの見方や考え方に幅が広がったのは事実です。
そのことに限らず、○○でなければならない、との考えに囚われるほどに、辛い気持ちになることが多かったです。手放すと「何だ、こんな景色が見えるのか」と悪い気がしないことを多々、経験しました。
人生とは分からないものです。
自分にはこれしかない、○○でなければならないと思っても、実はそうでは無いのだと学んだ過去の日々。
人には将来のことなど何も分かりはしません。自分のことだって、果たして何処まで分かっているやら。だから、予想外の道は最初は好ましくは思えないけれども、後になって、この方が良かったなと思えます。
人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
故事ことわざ辞典
《「淮南子 (えなんじ) 」人間訓から》人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ。
昔,塞翁の馬が隣国に逃げてしまったが,名馬を連れて帰ってきた。老人の子がその馬に乗っていて落馬し足を折ったが,おかげで隣国との戦乱の際に兵役をまぬがれて無事であったという話から〕
デジタル大辞泉(小学館)
昔の人は、そういうことを知っていて、それがことわざになっております。つまりは、教訓にするべきだと。
もし、今置かれた状況が、とても辛くて大変だったり、ここしかないと思うようなことがあれば、その出来事すら、次に繋がる布石である可能性があります。
だから、上手くいかない時は、そのことについて、どんな対処や解決が考えられるか、考えるより他はありません。思い切って、違う環境や役割に至ることもあります。
逆に、今置かれた状況が、とても好ましく楽しいならば、ずっと続くか分からないからこそ、今を楽しんで満喫すれば良いと思います。
全ては流転するのが常なのだと言われているのですから。
人間万事塞翁が馬とは、確かにその通りであると、自分の人生を通じて実感します。
語り継がれたことわざであることには、相応の理由があります。それが事実なのだと。
投稿者プロフィール
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