「僕だけが取り残された」と思う時
こんにちは。
日常の悩み事「普段段使い」のカウンセリングの結い心理相談室(青森県八戸市)です。
数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。
本日はこちらの投稿を紹介します。
皆さんはいかがでしょうか?
分かる〜という方が多いのかなと僕は勝手に思っております。
僕も「自分だけが取り残されたように」と感じて
大きく打ちひしがれた時は二度ほどありました。
一つは医療ソーシャルワーカーをしていた時代
本流の仕事から外れ、新しい部署と事業の設立命じられた時です。
文字にすると抜擢された感じがしないでもないですが
はっきり言って、手探りすぎて、恐ろしいほどの不安に苛まれておりました。
みんな普通に仕事をして、忙しそうで羨ましい。
一方、自分は、仕事の道を作るのが仕事で、仕事をする以前の状態。
みんなと同じような業務をしていたいと何度思ったことか・・・。
もう一つは、転居して個人事業を始めた前後。
「自分の道を行く」と決めたはずなのに
あの取り残された感は半端なかった・・・。
あれは孤独感だったのだと思いますが
人と違う道を行くのは確かにしんどいのです。
覚悟なんて、最初からある訳ではありません。
ひたすら辛さと向き合って、それでもやると思えた時に、そうやって少しずつ身に付いていくのだと知りました。
「自分は、いったい何をやっているのだろう?」
「自分だけが取り残されたようで・・・」
今となっては、こういう時間と経験は不可欠なのではないかと思います。
そうやって孤独に向き合う中で
自分の生き方を見つけていくのです。
それを嫌がると
見出だされるべきものが、見出だされなくなるのです。
だから、大事な大事な、人生の通過儀礼ではないかと思います。
そういう機会は訪れたのなら
成長的変化をする機会だと思って耐えましょう。
もっとも、言われて耐えられるなら、苦労はありません。
孤独に自分と向き合い、耐え方も突き進み方も、そこで初めて獲得するのです。
だから、頑張れ。
乗り越え方は、そこから学び、獲得するのだから。
「自分だけが取り残されたようで・・・」
実際には、そんなことは全くありません。
短期的な状態で判断は下さず、もっと長期的に見ていきましょう。
そういったことも、僕は「僕だけが取り残された」と思った時から学びました。
だから、大丈夫。
投稿者プロフィール
最新の投稿
- 普段使いのカウンセリング2025年1月22日今あるものを称えよう
- 普段使いのカウンセリング2025年1月21日運次第を自分次第に
- 支援者への支援(援助職のためのカウンセリング)2025年1月20日人を見る目
- 普段使いのカウンセリング2025年1月19日位置について