どんな声を聞いているか?

こんにちは。
日常の悩み事「普段段使い」のカウンセリングの結い心理相談室(青森県八戸市)です。

数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。

人って、聞いている声に影響を受け、染まったりする。

良い言葉かけ
感謝だったり、褒めだったり、労りだったり。

こういうのは誰だって嬉しくなりますね。
自分には価値があると感じられる。

もし、「フン」と背を向ける事があれば
受け入れたいけど、受け入れられない事情があるかもしれない。

実際の生活の中で
労りの言葉を受けることって、とても少ないと思う。

それは他者からの良いフィードバックを
受ける(与える)習慣がないからかもしれない。

良いことをしても
それが当たり前になっているからかもしれない。

残念なことだけれど
粗を探すことの方が慣れているかもしれない。

一人の場合だって、似たようなものだ。

「こんなんじゃ駄目だ」と
自分を責め、叩くことは、容易にできるかもしれない。

むしろ、意識しないでも
そうしているかもしれない。

しかし、よくよく考えると
公平ではない。

「できていない」事だけなら
そもそも、生活できていないのだから。

必ず「できている」事があるはずで
どうしてそれには目を向けないのだろうか。

甘やかしちゃあ、駄目。
厳しくしなければ、人は駄目になる。

それも一利ある。
けれど、責めっぱなしだとどうなるだろうか?

挫けるのではないか?
怯むのではないか?

結果的に「叩き潰す」になっていないだろうか。
言うまでもなく、それが目的ではないはず。

前向いて歩けるように整えるのは、当然じゃないか?

例えば...

「できている」
「もっとできうる所がある(「できない」じゃなく、まだ「できていない」だけ)」
これは表裏一体だと思う。

「できている」を探せば
もっと「できるようになる」領域も必ず見つかる。

そうすれば、自ずと向上もしていくのではないか。

それは健全な心、落ち着いた心
確かな土台があって、初めて可能になるのではないか。

僕はそのように考えます。

根拠のない、いたずらな「褒め」とか
「褒め」で人を動かそうとするとか

それは問題でしょうね。

けれど、人(自分、他人)を認めて
それを好ましく思うのを言葉にするのを躊躇う必要はあるだろうか。

「思い」があるのなら、人(自分、他人)に伝えていいはず。

普段、どんな声を聞いていますか?

誰かといる時でも
一人でいる時でも

人を(価値ある存在として)認める言葉が自然と出るなら素敵な事です。

もっと、向上したい、成長したいと思うのなら、なおさら。

人は言葉によって生き、支えられている。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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