自分の手の中、他人の手の中
こんにちは。
日常の悩み事「普段段使い」のカウンセリングの結い心理相談室です。
数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。
感銘を受けた言葉。
考えさせられた言葉。
サッカー選手のカズの言葉。
カズは、落選についてこう語っていたという。
「俺たちは一瞬でも手を抜いたことはない。間違ったことはしていない。選ぶ、選ばないはそこじゃないからね、キー。それは選ぶ人の価値観で選んでいるから、しょうがないんだよ」
また、岡田氏の悪口を一切言わなかった。北澤氏は「言っている俺が恥ずかしくなった」と回想する。
引用:サッカーダイジェスト
彼は、日本初のワールドカップの際
土壇場で登録選手の選考から外れました。
日の丸を背負い
ドーハの悲劇で辛酸を舐め
誰よりも日本のワールドカップ出場を願った人物。
過去に無いほどの更なる辛酸を舐め
人や運命を呪ってもおかしくなかったにもかかわらず
彼は、そうはしなかった。
一般人の僕らにもおおいに応用できる事柄です。
自分にできることは精一杯の事を果たし
自分にできる範囲においての落ち度が無いほどに尽くすこと。
しかし、それでも尚、選ばれない(報われない)事がある。
しかし、それはもはや、当人の采配の領域の事ではない。
自分以外の他者の範疇のことなのだ。
他人の主権を侵すことなどできない。
そこには決して本人の落ち度などない。
ここに、自分の領域において
やり抜いた者の高潔さがある。
自分の裁量外のことなど
負いようがない。
だから、堂々としているべき
下を向く必要はない。
この話を一般化すれば
例えば就活。
どんなにできる限りを尽くしたとて
選ぶ、選ばないは採用側の裁量。
仮に、優秀で抜きん出ていたとしても
求めている人員像と合わなければ選ばれない。
選ばれなかった者に落ち度があるだろうか。
きっと、そうではないはず。
自分の力が及ぶ範囲
努力できる範囲を見定める。
それ以外のどうしようもないことは
運を天に委ねるしかない。
自分の力の及ぶことにおいてのみ
最大限を尽くす。
これが本当の意味での
「役割を果たす」だと思う。
この割り切りはなかなかできないものです。
それができている人は、尊敬に値します。
性質や能力を他人と比べたらキリがないけど
せめて自分自身の能力を最大限に高めよう。
きっとそれで十分だ。
誰とも比べる必要はない。
そんなことを教わった気がします。
投稿者プロフィール
最新の投稿
- 支援者への支援(援助職のためのカウンセリング)2024年12月26日マネイジメントは料理に似てる?
- 普段使いのカウンセリング2024年12月25日逃げると撤退の線引き
- 支援者への支援(援助職のためのカウンセリング)2024年12月24日動機より大事なこと
- 支援者への支援(援助職のためのカウンセリング)2024年12月23日敢えて「しない」