ソーシャルワーカーに向いている人?
こんにちは。
援助職のためのカウンセリングの結い心理相談室です。
数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。
学生の時。
実習や見学の類は、たくさんしました。
その時、ある施設長が言っていたお話。
ソーシャルワーカーに向く人はどんな人なのか。
僕は、頭の回転が速いとか
共感力が高いとか、そんな返答を期待していたと思います。
しかし、返ってきた返答は...
「思い切り苦労した人」または
「苦労知らずのお坊ちゃん」
目をぱちくり。
面食らった記憶があります。
ご年配の施設長でしたが
たくさんの人を見てきての見解なのでしょう。
今、僕なりに解釈すれば...
「思い切り苦労した人」は相手の痛みが分かり、決して、クライエントを軽んじたりはしないだろう。
その反面、現実との葛藤も多いのは間違いありません。
きっと、仕事においても尚、たくさん苦労はするだろう。
しかし、そういう人がいてくれないと困る世界でもある。
仕方がない、なあなあで
流してはいけない尊厳がそこにはあるからだ。
「苦労知らずのお坊ちゃん」
残念な事に、目の前のクライエントの苦悩をあまり理解できないかもしれない。
仕方がない、そういう生き方をしてきたのだから。
しかし、下手に情に流されない分
粛々、淡々と業務を遂行できるかもしれない。
メンタルヘルス的にも安定しているかもしれない。
それも実は、大事なこと。
決して、その経緯を軽んじる訳にもいかない。
生まれた場所は選べないのだから。
その人でなければ、できないことがあり
そういう人もまた、居てくれた方が良いと思う。
この話は、かれこれ25年以上前の話。
時代も価値観も変わり
今の現場の人に訊けば、きっと違う答えが出てくるでしょう。
そもそも、向いている、向いていないって
どうやって、判断できるのだろうか。
どんな背景があっても
どんな動機づけがあっても
援助に対して、真摯になれればそれで良い気もします。
必要に応じて、感受を制御する術を持てれば良い気もします。
特別な人ではなく
普通の人ができているってことが、大事なんじゃないかな。
人ができる経験には何事も限りがある。
「ある苦労は、知っている自分」
「ある苦労は、知らない自分」
そんな自分を上手く使っていくと良いだろう。
共感はすぎても、そうで無さすぎても上手くない。
「分かる」よりも、「分かろうとする」方が大事だったりする。
結局、向いている人って何だろう。
「人を愛せる人」かもしれない。
しかし、「愛しすぎても」上手くないのだ。
この加減ができる人...かな。
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