失敗の恥ずかしさの受け止め方
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの結い心理相談室です。
野村克也氏の語録が大好きです。
「そうだよね」という共感と、僅かばかりの自分の経験と実感にも重なるから。
あとは、野村氏自身が考え抜いて、実践してきた言葉だから、重みが違うと感じます。
僕のソーシャルワーカー人生もこの連続だったと思う。
恥ずかしい思いを挽回しようとか、クライエントのため・・・と言えれば、それこそ格好が良いのかもしれませんが、残念ながら、最初はそのような高尚さは微塵もありませんでした。
良くも、悪くも、自意識が強くて、失敗した恥ずかしさに耐えかね、これを霧散させるには、失敗した時以上の出来栄えでもって、取り返すしかないという思いで必死でした。
そうやって成長して、少し余裕が出てくると、やっとクライエントのためにと、本当に人を思いやる余裕が出てきました。
これが偽らざる僕の本音と実体験です。
だから、失敗とか、恥ずかしさとか、そういったものにどう向き合うかが、すごく大事です。もっとも、それは今も続いております。
だから、その対処を面倒に思い、見え見ぬふりをして、改善を怠ることを恐れます。
思えば、「恥かいた」と思う場面を振り返ると
自分の実力不足や準備不足など、何かしら足らなかったことが根底要因にあります。
そして、恥をかいて、「やるんじゃなかった」「もう二度と、頼まれてやらない」「あんな状況じゃ・・・」と言い訳したくなる。
もっとも、挑んだから「不足」に気がついた訳ですが・・・。
恥をかいた後、「こんな気持ちのままでいられるか」と思い、「これ以上、恥をかかないために、あと何をすればいい」と思い始める。
みっともないような、それこそ恥も外聞もないけど、「どうしていくか」と前を向くのが大事です。
「恥ずかしい」の中には、どうしようもないから忘れた方が良いものがあるのも事実です。しかし、教訓とし、挽回できるものに対して、それをやってしまうと、また同じことを繰り返してしまうのです。
どんな名選手も、どんな重役でも、どんな先輩でも
「失敗の恥ずかしさ」を克服した経験は、何かしら持っているはず。むしろ、仕事で恥ずかしい思いをしなかった人なんて、いないのではないか。
だから、今、自分が恥ずかしさを必死に受け止めて、苦しんでいるのなら、思い出すべきです。
誰もが通った道だと。誰もが通っている道を自分もまた通っているに過ぎないと。
恥ずかしさは教訓とし、挽回できる機会がるのなら、打ち勝つに限ります。あるいは、機会がなくても恥ずかしさを感じた時以上の自分になりましょう。過去の自分を上回った時、ようやく「あんなこともあったね」と思えるはずです。
投稿者プロフィール
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
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