上手に叱るために

こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。

1、その叱り方はパワハラ?

怒り方が強烈な上司。

きっと、どこにでもいますよね。

「パワハラ」と言いたくなります。怒られた方の精神的な痛手が深いと、あの怒り方はパワハラだ、と思うことがあるかもしれません。

しかし、念のため、一応、確認していきましょう。以下は、厚生労働省のパワーハラスメントの定義です。

以下の①~③の要素をすべて満たすものを職場のパワーハラスメントの概念と整理。

①優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
②業務の適正な範囲を超えて行われること
③身体的若しくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること

厚生労働省

何を言いたいかと言うと、③だけでは要件を満たさず、①と②を満たしてないと、パワハラとは言えないと言うこと。

つまり、ただ怒り方がきつくて、怒られて辛いから、という理由だけでパワハラと叫んでは、別の問題が生じてきます。

本当は、怒るのではなく、本当の意味での指導のために、期待する業務遂行のために、行動を修正してもらうために叱るのが、本来あるべきなのだと思います。

そのためには、大変ではありますが、上司の側が、上手な叱り方を会得する必要があると思います。また、部下も叱られたことを過度に受け止め過ぎないことも大事です。実際、この加減がどちらに偏っても上手くありません。どちらかが一方的に苦しむのも、本来ではないと思います。

2、その叱り方は妥当か?

そして、指導としての叱り方は、組織からあまり点検されることは少なく、往々にして上司裁量に任せられていると思います。

だからこそ、自分の叱り方を客観視できず、ただの怒りの発散なのか、部下に行動の変容を期待するのかが曖昧な叱り方が横行しているのではないかと思います。

なかなか、「上手な叱り方を誰かから教わる」というのも馴染みが無いかもしれません。しかし、それでも上手な叱り方をされた部下が、やがて上司になった時に、一つの基準(型)として身につくなら、とても良いことだと思います。

3、アンガーマネジメントを活かす

「叱る」が難しい理由の一つに、怒りの感情が混ざることが挙げられると思います。そして、怒りの背景を自己覚知できることが大事です。

アンガーマネジメントでは、怒りは二次的な感情と言います。一次的な感情、例えば、期待した結果が得られなくて落胆し(一次感情)、それが怒りとなる(二次感情)という具合です。

こんな記事がありました。

人は自分の弱みを隠したがるものだ。それゆえ劣等感や羞恥心がかき立てられた時も、「キレる」ことによってその感情を隠そうとすることがある。(略)深く傷ついた時も、拒絶されそうで怖い時も、恥をかいてしまった時も、何やら負の状態に置かれたことに恐怖を覚えるだけなのだ。そのため恐怖心を隠そうとして烈火のごとく怒りをぶちまけ、他者を攻撃するのである。

だから腹が立った時は、自分の抱く感情が本当に怒りなのか、その裏に何か別の感情が潜んでいないか、真っ先に探る必要がある。怒りをぶつけることと、何かへの恐怖を伝えることは全く違うことだからだ。

プレジデント

怒りの表明自体は時にはあっても良いと思いますが、それは正しく指導すためのものであるべきだと思います。正しく叱るためにも、怒りの感情に支配されると大概失敗します。

叱ったつもりが、相手には「怒られた」ことしか残らず、被害者感情だけを生み、肝心の行動の変容はできなかったとなれば、まさしく双方、徒労に終ります。

4、過度な怒り方の背景

ある役職者の例ですが、怒り方が強く、周囲から警戒される方がおりました。よくその人を観察すると、その方は非常に繊細な方でした。時に過敏に反応し、「こうして欲しい」を伝える前に、自分の傷付きが優ってしまい「何故、そうしたのか」と問い詰めてしまうなど、必ずしも意思疎通が巧みとも言えませんでした。

上手く、伝えられず先に感情が爆発してしまう。しかし、よくよく背景を聞くと「そうなのか」と理解できなくはありませんでした

ああ、こうやって、望まぬ事態が起きていたのか。カラクリが分かった時には、何とも複雑な気持ちでした。「噛み合わない」とは、残念を通り越して、不幸を生むのかもしれません。

5、怒るよりも、叱るよりも、やっぱり対話かな

この経験は、とても勉強になりました。

僕は「叱り」が空回りした「不全感」が大嫌いです。だから、そうならないために、「◯◯の件で話がある」と話したい事柄だけを先に伝えて、相手の反応を見て、時に、相手の言い分を聞きます。

最初の一言を先に伝えるだけでも、相手はそれなりに「思うところ」があり、思い思いの弁明を語ることがしばしば。そして、本人なりの道理があることがほとんどだったりします。

これについては、ディール・カーネギーの「人を動かす」が非常に学びになります。よろしければ、一読してみてください。

こちらも、なるほどね、と理解できることが多いです。こうやって心理的安全がいくらか確保できて、下地が整ってやっと本題に触れられるのです。

毎回、この型に当てはめられる訳ではありません。また、周りくどいのですが、こうやって「噛み合って」、ようやく「叱る」側も目的が達成します。

結果的に、叱るよりも、対話だけで事が済むこともしばしばでした。

叱るとなると言う方も辛い、しかし、言わないとお互いにもっと大変になる。叱るって、本当に難しい。だけど、対話のつもりなら、叱るよりは重荷にならない。

双方の感情を整理して、そして、それから、どうなって欲しいのかを言語化して共有する。今のところ、僕は、上手な叱り方をこのように考えます。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
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