許しと約束
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。
人間関係のこじれ。
好き好んで起こす訳でもなく、関係は流動的で、生き物のようなものだから、予測しない方向に弾んで言ってしまうこともある。
怒り、衝突、和解・・・どの段階も大変さが伴います。
この投稿を見ながら、思ったこと。
きっと、優しい人は「許さないといけない」と思い込んでしまうのだろうな、と。
きっと、優しい人は「許せない自分」を認められずに、「こんな自分では駄目だ」と自分を責めてしまうのではないか、と。
意外と忘れられていることだけど、「許す」はあくまで、「応じる行為」だ。
つまり、「相手が謝る」行為が先にあって、それに応じるか、どうか、です。
そして、謝る側が、相手の心境を理解し、もう同じ失敗をしないという意志を持って、改善を継続することが前提に必要ではないか。
謝意と改善の程度にもよりますが、「えっ、そんなの大変だよ」と思うのなら、気持ちは自分にしか向いていないことになるのではないか。
きっと、必要なのは相手への思いやり。同じ失敗は繰り返さないという意志の継続を行いで示すことは、誠意にもなるはず。
「誠意」⇨「誠」の気持ち⇨「言」葉を「実」らせる⇨つまり、相手に何を約束して、実行するか。そして、実現不可能な約束もできません。相互に合意できる約束をそこで交わすのだと思います。
改善と謝意の示し方を失敗するほどに信用を無くしてしまう。だから、本当は、する方も必死。
許す側も、その事に縛られないためにも、どこかで手放す覚悟が必要。きっと、許す方が大変なのかもしれませんね。
実際、そんなに上手く謝罪行為が行われないから、みんな悩み、苦しむ。
だからこそ、「謝るー許す」は、対となる行為だと言うことは言っておきたい。
謝意を示せなければ、許したくても許せなくなる。
上手く「謝るー許す」の行為が機能するためにも、「良心」を土台とした「合意形成」が大事だと、つくづく思う。
もし、「許せない」と思うのなら、一連の過程のどこかが足りていないのかもしれない。
そんなことを、思った今日この頃。

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