その怒り、至極ごもっとも

こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。

人が怒るからには、それなりの理由があると思います。

その人が大事にしていることが、踏みにじられたから、その人も傷付いている。

怒りは二次的な感情とはよく言ったもので、そのとおりだと思います。

怒ったその所にこそ、その人が大切にしているものがあるのだと思います。

詳細な状況は、全く分からないけど、上記の投稿の怒りは何だか共感できます。なぜならば、僕もこの手の類の「適当さ」が大嫌いだからです。

他の投稿は読んでおりませんが、ソーシャルワーカーの経験と施設ケアマネジャーの経験がお有りの方のようです。

ソーシャルワーカーと一括りにしても、所属機関によってやることが千差万別だったりします。そして、仰るように職場ごとに規則も異なりますから、経験があるから「やれるよね」と放置、放任されたらば、僕も怒りたくなります。

往々にして、放置、放任されて、いざ何か起こると「何でこんな事をしたの」とか「何で聞かなかったの」と言われてしまうのはよくある話です。

僕も、まるで経験したかのように書いておりますが・・・直接的には無いのですが、似たような経験は幾つかあります。本当に困るんですよ・・・。

「標準的手順」、「禁忌」、「役割期待」等は最低限に教えてもらわないと、とても不安になります。

僕の場合、できる限りに周囲の期待に応えたいと思い、精一杯努力しようとします。適当にしようと思っても、自然とそのような行動を取ってしまいます。

それにも拘らず、放置、放任されると、どうしても残念な結果になることが多く、そんな状態であったとしても、僕は自分を許せないと思うことがあるのです。

だから、やるからには、きっちりしたいのです。

仮に、「緩やかに、取り敢えず流れだけ経験して、それから教える」というやり方をするのであれば、せめて事前に言って欲しいと思います。

これはきっと、僕だけでなくて、多くの人に共通することでしょう。

手順説明とは、人材育成・指導の観点でも重要ですが、一番は働く人への「思いやり」なのかな。僕が新人の時代は、「取り敢えずやって」が業界的に多かった時代です。「そんなものだ」と僕も思って過ごしていた時期もあります。

しかし、今改めて思うと、「雑な振り方」は嫌だということ。働く人にも、クライエントのためにも宜しくないことです。

言うまでもないことですね。

そんなわけで、冒頭のSNS投稿に対して、その怒り、至極ごもっとも、と納得しました。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
あなたのミカタ(味方となり、強みを再確認し、見方を再構成し、やり方を一緒に考える)となって、ソーシャルワーク&カウンセリングを駆使して、あなたの今ここからの歩みをお手伝いします。