言葉の使い道

こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。

道徳に、人からされて嫌なことはしない、というものがあります。

きっと、人生の早い段階で誰しも一度は必ず教わったことがあるのではないでしょうか。

同時に、それに反したことを全く行ったことのない人もまた、居ないのではないでしょうか。

その逆も大事で、人からされて嬉しいことは、人にもそのようにする、というものがあります。

きっと、それを全くしたことのない人もまた。居ないのではないでしょうか。

陰口を言わない。

これも、道徳の一つとして、必ず教わることだと思います。口は災いの元と言います。

大人になるほどに、口を制することがいかに難しいかが分かり、また、口で痛い思いをした人もいるかもしれません。

言葉と行い、即ち「言行」が、相手にとってどう映るのか。この想像力と自制心は人生の最期まで必要な能力だと思います。

折角、言葉を発するのなら、相手に喜んでもらえるものだったら、どんなにか良いことでしょうか。

言葉は人を喜ばせ、元気づけ、一方ではがっかりさせたり、傷つけたりもします。まさに言葉は刃物で扱いが難しいです。

この話も、実感としてよく分かります。

壁に耳あり、障子に目ありとは言いますが、人が口にしたことは何らかの形で、第三者に、下手すると当事者に伝わります。

告げ口とかそういうことではなしに、相手に対してどう思っているかは、それとなく周囲も勘付いたりして、言葉の端々から察したりして、言っていた内容と同程度のものを周囲が察することもあると思います。

個人的には、いつからか、「聞かれて困る話はしない」ということを強く認識するようになったと思います。そして、できるなら、極力、「その人のいないところでは、その人の話をしない」とも思うようになりました。

自分を嫌いにならないためにも、必要なことだったと思います。不本意で、軽率な言葉に、何度も自己嫌悪を味わったからです。

特に、役職に就いてからはそうです。例えば、立場ある者が誰かを批判したりすると、その話には尾ひれがついて広まっていくことは、しばしばあるものです。

他者を誉めた話ならば、良い意味で効いてきますが、その逆は・・・。

もっと言えば、どんな内容だったとしても、相手の立場を理解し、相手を思う発言であれば良いのだと思います。

相手を思うから、感謝を伝えることも、苦言を呈することもあります。その言葉の先に何があるか、また、自分の心の中に何があるかが大事ですね。

簡単なようで、難しく、しかし、それを諦めたくない自分がおります。

一生ものの挑戦です。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
あなたのミカタ(味方となり、強みを再確認し、見方を再構成し、やり方を一緒に考える)となって、ソーシャルワーク&カウンセリングを駆使して、あなたの今ここからの歩みをお手伝いします。