伏線の回収
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。
人生、上向くことがあれば、当然、下降することもあります。
まさに浮き沈みですね。上がりっぱなしもなく、下がりっぱなしもなく、上下を繰り返すのが人生です。
悪いと感じる時期があると、まるでこの世の終わりかのように落ち込み、やがて良い状況に入ると、過去の大変さも全て無かったかのように喜ぶものです。
『大局観』とは言いますが、なかなか長期的に、俯瞰するのは難しいのが実際です。
皆さんは、最悪の状況に、どう振る舞ってきましたか。
僕の場合は、最悪の時期の最初は、ひたすら落ち込み、どよ〜んとした気分で、力なく過ごしていたと思います。
その内、このままでいては、もっと辛いから、何かできることはないかを探し、一歩ずつ、一歩ずつ、やっとやっと前を向き始めていったと思います。
そして、最悪期の後半に入ると、「最悪」にも慣れて「最悪」とも思わなくなり、もっと何かできることはないかと、違う視点を持てるようになったと思います。結果がどうなったかは、その時々です。
報われたこともあれば、そうではなかったと思ったこともあります。報われなかったと感じても、何年か経って、その伏線は回収されるだろうと今でも密かに期待はしております。
上手くいっている時は、「どうやっていこうか」などとは考えません。最悪の時期だから、考えるのです。
最悪の時に「腐らない」のは確かに大事だと思います。大変な時ほどにその人の底力が試され、そこでの振る舞い、特に腐らないで前を向く行為には、非常に大きな価値があると思います。
そうかと言って、「腐ってはいけない」と思うのも違うと思います。心は悲しみ、苦しさを感じているのですから、悲嘆して当然です。
むしろ、前を向くためには「悲嘆」「落ち込む」という「大切な儀式」が必要なのだと思います。
その儀式が済むと、その状態にも飽きてきて、何か違ったことをしよう、変化をつけようという意欲が湧いてくると思います。
その気持ちが湧いた時が良い機会です。脚本、物語に例えれば、ここからが挽回する場面です。
やがて良い変化が起きれば、過去の最悪の辛さもやがて忘れていくことでしょう。つまりは、最悪と感じた出来事は、成長、前進のための伏線とも言えるでしょう。
もっとも、大変さの中身によってはとてもそのようには思えないこともあるのも事実です。
しかし、人生の出来事は、個人には選べませんから、来たものに対処するしかありません。
人は、困難に何かしら意味を欲してやみません。無意味であることの方が耐え難いのだと思います。その意味も神のみぞ知るところだとは思いますが。
それでもなお、意味を欲するのは当然のことだと思います。人生を物語に例えて、人生の出来事は伏線の連続です。どこで何が繋がっているかを見つけるのも容易ではありません。
それでもなお、伏線の回収を諦めたくない。そこにどんな答えがあるのか分からないけど、やはり探したくなるのもまた人生だと思います。
そんな微かな希望があるだけで、もう少し進んでみようかと僕は思えたりします。
宝探しみたいなものかな。
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