自宅は聖域
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。
以下の投稿を見て、ソーシャルワーカー時代を思い出して懐かしくなりました。
個人的には、ソーシャルワーカー時代も、病院内だけでなく、自宅訪問等もたくさんしていたので自宅で面接をすることに緊張したことはありません。
ただ、自宅がその人にとって特別な空間であり、その人をうかがえる情報に満ちていると感じます。
整然と片付けれられた家
物がたくさん詰め込まれた家
商売道具が散見される家
表彰の類が飾られている家
趣味のものが飾られている家
SNS投稿にあるように、どれが良くて、どれが悪いということではなく、ただその人の生活が刻まれている空間があります。
その人にとって当たり前の空間も、支援する側からすると、その人を知れるたくさんの情報は、ある意味、貴重です。
当事業所のカウンセリングにおいても、訪問カウンセリングがありますが、訪問することで得られる情報量が多いと感じます。
その人の趣味、好み、関心といったことが垣間見えて、よりそれらを踏まえてクライエントさんのことを考えさせていただく、と気が引き締まる思いがしてきます。
室内の配置一つにしても、その人の考えや拘りが少なからずあると思います。
物が多いのなら、そうしているだけの理由があり、少ないなら、そうするだけの理由があります。
そういったことを第三者に説明することなど、きっとほとんどないと思いますが、全てその人の価値観が反映されております。面白いのは、一つとして同じ自宅はないということ。たとえそれが集合住宅のような家であっても、外観が同じでも、家の中の様子は全て異なります。
そのくらい、個別性に富んでおります。
ひとりひとり違うから、全力で理解させていただこうと、やはり思わずにはいられないのです。
自宅はその人の価値観、歴史、物語が凝縮されたその人にとっての聖域のようなものだと思います。
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