思いやるという情熱
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリングの中田雅也です。
印象深い記事があったので抜粋します。
以下、小泉今日子さんと内田也哉子さんの対談記事です。
内田 今日出かける前に、本木に小泉さんとの思い出を聞いてみたんです。20代のときに初めて連続ドラマで恋人を演じたことがあったそうですね(「あなただけ見えない」1992年、フジテレビ系)。そのときに、若いのに上からモノを言うようなスタッフさんがいて、本木も「なんか危ういな」と思っていたんだそうです。
すると今日子さんがスパーンと、「あなた、そんなふうに何でもわかったように思っていたらダメよ。足を掬われるわよ」と注意したんですって。
小泉 覚えてないけど、言ったんでしょう(笑)。
内田 モノを作る者同士として言うべきことは言う。自分が不愉快だからではなく、相手が大失態を起こしてからでは遅いから言うんですよね。つまり相手に寄り添って注意する。本木は「かっこいいな」と羨望の目で見ていたんですって。
文春オンライン
僕は、これこそ、相手を真に思いやる行為だと思いました。
今時、このように間違ったことをして、真っ直ぐに指摘したり、注意できる人が果たしてどのくらいいるでしょうか。
むしろ、遠巻きに悪口を言ったり、そうはしなくても、相手と距離をとって当たらず障らずの距離感で自分に害が及ばないようにするのが多いのではないかと思います。
しかし、それでは、その人は、他の人にも同じような間違った接し方をしてしまうでしょう。
若いのに上からモノを言われたら。
腹が立つ、かもしれない。それは個人の気持ちとしては間違っておりません。そう感じて当然です。
腹が立った分、相手に文句を言ったり、人によっては口撃を加えるかもしれません。それを招いたのは当人に原因があります。
しかし、それだけで終わらず、「相手のどこが間違いなのかを指摘して、悪い事態を招かないように警告する」のは、怒りの感情を抱えていただだけでは決してできないことです。相手のことを本気で考える気持ちがないとやれないことですね。
『自分が不愉快だからではなく、相手が大失態を起こしてからでは遅いから』とは、そのとおり。
言った本人(小泉今日子さん)は、覚えてすらいないのは、当人には特別な行為ではなかったのでしょう。
想像も入りますが、そうして当然とばかりに、いつもそう考え、そのようにしていたから、自然と出たのでしょう。
そこには「モノを作る者同士」という立場、構成員としての役割があって、遠慮は良いものを生まないという考えがあったものと思われます。
人に指摘したり、注意するのが苦手だった僕。
「上司」であった時、言いにくい話ほど、「どう言うと、本当にその人のためになるだろうか」を考えたものです。
そう考えると、勇気が出ます。きちんと言わないことの方が損失なのだと思えると、是非とも伝えたいと、幾らか前向きになれたことを思い出します。
角が立つことを嫌う昨今。
しかし、それでは自己愛に偏るきらいがあります。
本当に思いやるということについて、考えさせられました。

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