体の声も聞く
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリング 中田雅也です。
子供が小さい時の話。
外出して、楽しくて、朝から晩まで、はしゃぎ続ける。
夜になって、夕食を食べながら、うとうとし始める。そして、やがて、電池が切れたおもちゃのように、深い眠りにつく。
さらに次の日、体調を崩す。
小さい子供のあるある事象。体力を使い果たすほどの限界を超えると、体調を崩すものです。
大きくなった僕の子供。
もう子供ではないけれど、僕にとっては子供。
複数の大きな仕事を終え、褒美とばかりに休暇を満喫する。要は、ここぞとばかりに出歩いて、楽しんでいる。
ただ、僕の目から見ると、ちょっと体力を消耗しっぱなしで、息つく暇もないんじゃないかと感じる。
僕が同じ行動を取ったら、あっという間に息切れしてしまいそう。
けど、若いから、なんとかなっているのかな・・・と思いきや、風邪を引いた模様。
「何で、急に風邪をひいたのか」とぼやく彼。
僕からすれば、「そりゃ、そうなるよ」と思う。
えてして当事者は、「まだまだ大丈夫」と思ってしまいがち。
そう言えば、僕もそうだった。「まだまだやれるはず」と頑張り過ぎて、徐々に腰痛やら、体の不調が生じて、僕はそれが不満でなりませんでした。「今が頑張りどきなのに」と。
しかし、今となっては、「一旦、立ち止まれ、無理しているよ」との体からの警告だったのだ。
幸い、大病はしなかったけれど、数々の不調は経験し、思えばどれも、体からの徴だったと思う。不調に陥って、渋々、休んだりしたけど、あのまま突っ走っていたら、体は、もっと大きな警告を発していたかもしれない。
体の声を聞く。
30代も後半に入ってから、意識するようになったこと。
40代の今となっては、欠かせない行為。体力も落ちるから、以前よりもたくさんの警告を発してくれているのを感じます。
「何か、しんどいぞ。大丈夫かな。」と思えている内は、大概、問題ありません。それを無視する、見て見ないふりをすると危険です。
さてさて、若い内は、風邪を引いても、無理をしたという自覚は持ちにくいものです。
却って、体力がある故に、たまたま、転んだような出来事にしか思えません。
一病息災という言葉がありますが、調子を崩した時、ちょっと自分の生活状況を振り返ってみると良いでしょう。何かしら、無理をしていることがあると思います。えてして、それに無自覚な時ほど、調子を崩すと個人的には思います。
心の声も聞くのも大事。
そして、体の声を聞くのも大事。体と心は繋がっているのだから。
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