手書きは、沁みる
こんにちは。
普段使いのミカタ・カウンセリング&支援者のミカタ・カウンセリング 中田雅也です。
以下は、個人的に関心がある報道。
学習のために、紙の教科書と手書きを重視しているという内容です。
ミニマリスト志向の僕としては、本は好きだけど、かさばるのが好きではありません。
電子書籍を購入してきたし、本のPDF化(自炊)も進めてきました。
思えばiPadが登場してから、その傾向が始まりました。
メモ紙すら、嫌がっていた時期がありました。
しかし、ここ何年かで、明らかに自分の考えが変わりました。
紙の本と手書きは不可欠だと思うようになりました。
電子書籍等、電子端末で見る本は、中身は何故か沁みてこないと感じるようになりました。
もちろん、文字を読んで、理解に努めようとはします。
しかし、頭の中に溜まる情報とは裏腹に、腹に落ちてこない感じがしてなりません。
抽象的な言い方になるのですが、触れてはずの文字量に対して、処理が追いつかないようなそんな感じ。
だから、変な頭の疲れ方があるのです。
味のしない食べ物をひたすら食べているようで、辛く感じる時があります。
紙の文字と、電子端末の文字とでは、まるで脳の処理経路が異なっているかのような感じすら覚えます。
手書きについて、近年は手書きノートを常用するようになりました。
確かに、全部、電子端末で処理すると、処理できる情報量は多くて、場所も取らないのは魅力です。
タイピングすれば、手書きよりもはるかに多くの文字を外に出すことができます。
一方、手書きは、書き出すのに時間がかかり、量も限られます。
しかし、手書きは、書き出す量が限定される分、書く際にしている思考の量が確実に多いと感じます。
どんな言葉を紡ぐと良いのか。
そんな、ほんのわずかの思考は、手書きの方が何故か深くなります。
これがタイピングだと、文字盤を打つことに作業容量を消費し、ほんのわずかですが、熟慮の度合いが落ちる気がします。
これは、書いて覚える(インプット)時も、書き出す(アウトプット)でも同様です。
もっと言えば、手書きすると、頭の中の霧が確実に晴れます。
扱う言葉の量に制限はつきますが、狭くても深い方が大事なのかもしれません。
今でも、手書きは面倒くさいと思うことはあります。
でも、手書きの心地良さが確かにあって、それは手書きでしか味わえないものがあります。
便利も捨て難いけど、不便の中にある利点はもっと捨てがたい。
そのように思います。
それに、手書きだと、文字に個性があって良いですよね。
たとえ下手でも、心を込めて書いた文字には、言葉以上に伝わるものがあって、人の心を打ちます。
どんなに便利になっても
便利にしすぎてはいけない領域がある。
投稿者プロフィール
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。
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