ソーシャルワーカーの就活のいろは
最近のソーシャルワーカーの就活事情について、正直、分かりません。
いきなり、こんなことを書いて何ですが。
僕が就活をした二十年以上前、「医療ソーシャルワーカー」は花形だったと思います。
医療ソーシャルワーカーの求人も少なくて、求人があるなら、例えば、地元でなくても、「その県の地域に移住する」くらいの意気込みが必要だったと思います。
だから、僕も他県、首都圏も含めて、いろいろな地域に就活で出向きました。
今から、十年くらい前からでしょうか。
徐々に、求人を出しても、応募が無いという話が聞こえてきたのは。
日本医療ソーシャルワーカー協会全国大会・学会で、全国のソーシャルワーカーと交流する内に、ある地域の方が、いざ職場を変えようと思ったら、五箇所以上は候補がある(求人有り)と聞いて、とても驚きました。
それから数年経って、日本医療ソーシャルワーカー協会の都道府県会長会という所で、医療ソーシャルワーカーの成り手不足が深刻だという話を聞きました。
まあ、大きな声でが言えませんが、大変な仕事だということは、今や学生たちもよく知っているようです・・・。
所変わって、僕の所属していた機関でも求人を出してもなかなか人が来ない事態が起きて、「応募が無い」ということの怖さをまざまざと感じました。
就活は、出会いの場のようなもの
何となく、就活というと、求職する側が必死になって探し、募集側が大きく構えているという印象がありました。
しかし、実際はそんなことはないかな、と思います。
医療機関に限らず、今はどこでも人手不足です。
僕が退職する前からそうでした。
また、募集を出すというのは、かなりの費用(労力、手間を含め)がかかります。
いわゆるコストに見合うだけの人材を雇いたいと思う心理もあります。だから、募集側も、決して余裕しゃくしゃくではなかったと思います。
『弊社でなければならない理由」を聞かないで』という、就活の一幕を扱った記事があり、興味深く拝見しました。
たとえば、あるXユーザーは「採用面接で『なぜ弊社でなければならないのか』と聞くのは本当に止めたほうがいい」と投稿し、多くの共感を呼びました。
投稿者は続けて、「別に御社じゃなくてもいいのです。お金が欲しいだけなんです。いくらでも代わりのある会社のくせに自惚れるのはやめてください!!!」とも書いています。
(略)
御社でなければならないなら、何社もエントリーしませんわな」
「そのくせ答えたら答えたで『それウチじゃなくていいよね?』とか言われる始末」(略)
いっぽうで、採用側の立場からは
「いや、採用する方も切実な疑問なんだよ。我が社でなければならない理由、どうか教えてくれっ(涙)」
JCASTニュース
「会社側として『内定を出したのに蹴られたら困る』ので、蹴らなさそうかどうかを確認する一環として聞いてる」
日本の就活って、言い方は悪いですが、取り繕い合って、偽っての連続、だと思います。
上手く騙したもの勝ちのようです。
だから、正直な本音があって、面白くもありました。
就活する側は、生きていくために稼ぐという現実があって、その中で選べる範囲の好条件を当たるのは当然です。
そこを否定することはできません。
募集側が選んでくれた理由を欲するとは、まるで「求愛」みたいだな、と思いました。
わざわざそれを聞くなら、応える義務があるよ、と僕は思います。
少しでも良い条件で働きたい(求職者)
少しでも良い応募者に来てほしい(募集側)
就活とは、出会いそのものだと僕は思います。
どっちの立場も経験しているだけに、余計にそう思います。
僕の就活体験
僕が、就活をした学生の頃、医療ソーシャルワーカーとして働いて、経験を積むことは絶対条件でした。
当時は、まずは事務職員をやりながら・・・という所も、ありました。
当時はインターネット黎明期で情報が少なく、自分で足を運ばなければ、分からないことだらけでした。
まずは見学、と伝えたはずが、偉い人がゾロゾロ出てきて、勝手に採用面接を始められたこともありました。
今よりも緩い、昔の話です。
どうしても自分の拘りについて、妥協できなかったので、専任配置ではない、今から部署を立ち上げる、指導者がいない等は、全て却下にしました。
当時としては、なかなか果敢な態度だったと思います。
その分、なかなか良い場所に巡り会えなくて、本当にギリギリだったので、妥協するべきか、非常に苦悩しました。
最後の最後で決まった所が、最終的に僕が長らく務めることになった医療機関です。
その時、面接対応をしてくれたソーシャルワーク部門の長に、僕が「指導体制はしっかりしているのか」と尋ねたら「人を育てることには自信があります」と言われて、絶対ここしかないと思いました。
自分が管理職になってから、「あの時、(上司が)よくあそこまで威勢の良いことを言ったものだ」と思い、自分ならそこまで言えただろうか、と思いました。
しかし、そういった保証とは言わないけれど、約束、少なくともそういったことを目指す、という意味では、とても心強く感じたものです。
組織の中のソーシャルワーク部門の歴史は大事ですよ
医療機関において、本業は医療です。
福祉は、不可欠ですが、優先順位から二番目とならざるを得ません。
それでも、福祉(患者の生活)をどのくらい汲んでくれるかは、医療機関の機能や性質によって千差万別です。
SNSにある医療ソーシャルワーカーのつぶやきは切実です。
組織内の他職種との関係性、支援に関する要求の度合い等、日々、戦いの要素があるのは事実です。
働きやすさの目安として、その医療機関において、ソーシャルワーク部門がどのくらいの立ち位置(評価)を勝ち得ているか、は大事だと思います。
部署として軽視されていると、個々のソーシャルワーカーがどんなに頑張っても風当たりは強いです。
しかし、部署として重要視されていると、十分な人数が配置され、ソーシャルワーカーの介入や多職種連携の規則もしっかりしており、立場も地位もより保全されると思います。
そして、これを作るのに、膨大な時間(年単位、それも十年単位)がかかります。
ソーシャルワーク部門にいてくれないと困る、と思ってもらうまでの道のりは大変です。
だから、先輩職員の地道な日々のソーシャルワーク実践の積み重ねが、その機関のソーシャルワーク部門なのだと思います。
僕も退職はしましたが、その機関のソーシャルワーク部門の歴史に携わったことは誇りに思います。
僕は、部署の設立(地域連携業務)と統合(ソーシャルワーク+地域連携)など、いろいろ経験してソーシャルワーク部門の長となりました。
部署と業務構造を作り、評価を得ていくのがどんなに大変かは身に染みて分かります。
だからこそ言いたいのは、就活する人が初めて出会ったソーシャルワーク部門にも、たくさんの歴史があって今に至っていると言うことを、少しでも良いから感じ取ってくれたら、そこに携わった全ての人がきっと嬉しいだろうなと思います。
そこでどんな貢献をしたいかを胸を張っていってくれたなら、僕が採用担当者なら、非常に好印象です。
また、ある程度の院内の位置付けが築けたとしてもそれを維持するのは容易ではありません。
残念ながら、生々しい言い方をすれば序列が下がることだってありえます。
人の集合体、組織には、嫌でも避けられない、人と人の力動があるのです。
期待と希望と失望は、常に交錯します。
残念ながら、理念だけではそこを克服するのは難しいのです。
何もしないで、良い状態が存在する訳でありません。全てのことには軌跡があります。
良い状態のソーシャルワーク部門は、その部署の存在や機能を誰よりも願った管理者(組織幹部)がいて、その部署を作ってきたたくさんの先人・先輩がいて、理解を示して一緒に汗を流してくれた多職種がいたからです。
部署も一人の人間の人生と一緒です。
投稿者プロフィール
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
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