事実と解釈は釣り合っているか
医療職、援助職には馴染みの「SOAP」形式の記録というものがあります。
平たくいうと、医療者・援助者が、患者(クライエント)に対する対応を以下のようにまとめることです。
S(subjective)= 主観的情報:患者(クライエント)本人が訴えていること
O(objective)= 客観的情報:患者(クライエント)の訴えた以外の客観的情報(観察、他者からの情報等)
A(assessment)= 評価:SとOの内容から分析・考察した評価、解釈
P(plan)= 計画:Aに基づいた対応方針
これは思考の過程が見えるので、思考の型としても分かりやすいと思います。
ちなみに、僕はよくSOAP形式で日記(振り返り)を書きます。理由は、何が起きたのか、どう解釈したのか、どう行動するのか、までを分かりやすく落とし込めるからです。
感情(解釈)だけ書き殴ることもあります。しかし、振り返った時に、なぜそんな感情が湧いたのか分からないのと、事実と感情(解釈)が釣り合わないことが、しばしばあります。
だから、SOAP形式で、事実と解釈をまとめると、非常に分かり易いのです。
数式で表すと『S+O=A、P』だと思います。
例えば、僕が日記に「失敗したこと」という題名で文章を書いたとします。
その中身をSOAPに落とし込むとこんな感じです。
S(subjective)= 主観的情報:ブログ記事を書いたのだが誤字が三箇所もあってかなり落ち込んだ。
O(objective)= 客観的情報:読者がわざわざ指摘してくれた。
A(assessment)= 評価:誤字脱字があると信用が低下するので気を付けなければならない。読んでくれている読者がいるのだから。
P(plan)= 計画:投稿する前に3回、見直しをして、誤字脱字を防ごう。
かなり端折った内容ですが、こんな感じだと、事実と解釈が釣り合っていると思います。
これが、全く釣り合っていない場合だと以下のようになると思います。
S(subjective)= 主観的情報:ブログ記事を書いたのだが誤字が三箇所もあってかなり落ち込んだ。
O(objective)= 客観的情報:読者がわざわざ指摘してくれた。
A(assessment)= 評価:ブログを書く能力もないし、誤字だらけの記事なんて恥ずかしい。
P(plan)= 計画:もう書くのをやめる。
ちょっと、極端な話かもしれませんが、事実と解釈が釣り合っていない例です。
「誤字があって、落ち込んだ」のは、事実なので仕方がありません。しかし、それをもって「書く能力がない」と、どうして言えるのでしょうか。
書く力は、一朝一夕には身につきません。時間がかかるものです。悪い解釈を早々に下しすぎです。
「読者がわざわざ指摘してくれた」ことの意味を考えると、わざわざ指摘するだけの関心があるということ。普通はここまでしてくれる人はおりません。こんなにも関心を持ってくれてありがたいばかりです。
「自分はもう駄目だ」などの悪い解釈は、事実の一部分を過度に一般化することで起きます。
「まだ書く経験が浅い」けれども、「好んで読んでくれる読者がいる」ということをきちんと評価すれば、「その読者に応えられるようになりたい」と思うのではないでしょうか。そのために、書く技術を磨き、点検にも力を入れるというのが正しい力の向け方ではないでしょうか。
更に言えば、行動と存在は分けて考えるのが大事だと思います。「失敗はしたけれど、それで私の価値は何も変わらない」と考えて良いはずです。
僕は、アドラー心理学から、そういうことを学びました。
更新した解釈の例。
S(subjective)= 主観的情報:ブログ記事を書いたのだが誤字が三箇所もあってかなり落ち込んだ。
O(objective)= 客観的情報:読者がわざわざ指摘してくれた。
A(assessment)= 評価:まだ書く経験が浅く未熟だけれども、好んで読んでくれる読者がいるのだから、その読者に応えられるようになると良いだろう。
P(plan)= 計画:書く技術を磨き、点検にも力を入れる。優良ブログを参考にする。毎日、点検を複数回行う。
「みんなが私を嫌っている」
「今回駄目だったから次も駄目だ」
という思い込みは、冷静に立証すれば消えていくアルフレッド・アドラー
名言大学
結論、僕は上記のアドラーの言葉を、僕なりの言葉でお伝えしたかったのです。
「みんなが私を嫌っている」との解釈(A)に至る、どんな事実があったのでしょうか。その解釈に釣り合う事実が本当にあったのでしょうか。
「今回駄目だったから次も駄目だ」と思うだけのどんな事実があったのでしょうか。「失敗が続いた」のだとしたら、次どうするかを冷静に考えれば良いだけで、わざわざ否定的な方向に自分から落ちていく理由などありません。
僕もそうですが、何故だか分からないけど、否定的な考え方と解釈の落とし穴に、はまってしまうことは、確かにあります。
しかし、はまったなら、抜け出せば良いだけです。
ただそれだけ。
事実に対して、釣り合いの取れない解釈など、捨ててしまいましょう。
そして、妥当な解釈をして、更新していきましょう。
起きた事実は変えられないけれど、無用な否定的解釈をしているなら、見直すのが妥当だと思います。
「冷静な立証」とアドラーは言っております。
僕にとっての、僕がする冷静な立証とは、SOAP形式で振り返りを書くことです。
いろいろなやり方があって良いと思います。お伝えしたいのは、「事実=解釈」が釣り合うようにしましょう、ということです。
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
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