心にゆとりを
「心にゆとりを」と言って、ゆとりを持てるなら、苦労はしません。
しかし、それでも、何度でも「心にゆとりを持とう」と言わないといけないと思います。
いつか、この言葉が、ストンと、心に、腑に落ちる時が来る時のために。
小瀬古氏のSNS投稿が好きで、よく見ます。
僕自身にも必要な言葉であったり、かつての自分にも届けたい言葉だと思うことがたくさんあるからです。
この投稿内容も、と〜っても共感できます。
「もう少し頑張れそう」とは、いつもそんな誘惑に駆られます。
もっともっと頑張らないといけないとすら思ったりします。
また、「100%以上の力」を出し切って、ようやく、頑張った手応えを感じることもあるので、主観的に「まだ足りない」と思う所で止めるのは、実は強い自制心が必要だったりします。
小さい子供が、はしゃぎ回って遊んで、特に外に出かけた時は、「100%以上の力」を出し切って、次の日に風邪を引いてしまうのは、よく見かけた光景だったと個人的には思います。
「子どもは自己制御の加減を知らないからね」と他人事のように思っていても、実は親が、大人もそれを知らなかったりするので気をつけないといけません。
二十代の頃、人生で初めて円形脱毛症を経験しました。後にも先にもあの時だけです。
当時、髪が短かったので、側頭部だったのですが一円玉ほどの円形脱毛症ができていることに気付きました。
ただただ、びっくりしました。どのくらいびっくりしたかというと、「太陽にほえろ」の「ジーパン」の殉職場面の『なんじゃあこりゃああ』を人生で初めて、口にしました。
脱毛症。
話には聞いておりましたが、本当になると、かつてないくらい驚きます。ましてや自分の体、髪の毛は外見に関わることなので、その衝撃は大きいのだと思います。
ちなみに、原因は、自分でもよく分かっておりました。当時、大仕事を任されて、期限が迫っておりました。風邪を引いたもの薬で無理やり解熱させて、本当は治りかけでゆっくり休んでいないといけない所を、仕事をして・・・という矢先でした。
「やっぱり、あれは不味かったよね」と自分に語りかけました。
ちなみに、脱毛症になると、自分でも驚きますが、周りもそれなりに反応します。
人によっては僕の事情を知っているので「ああ、やっぱりね」「あのことが原因じゃないか」と言ってくる方もおりました。
それにしても、はらはらと髪の毛が落ちる場面は、恐怖映画さながらでした。
体に異常が出て、それでも尚、体からの訴えを無視していると、体は気付かざるを得ないような手段を取ってでも、これ以上は無理するなと伝えてきます。
僕のような気質は、全力で頑張っていないと、「怠けているのではないか」という声がどこからか責めてきます。
自己認識と他者認識は一致しません。
自分で言うのもなんですが、「僕の普通は、他者にとっての頑張りすぎ」と映ることはしばしばです。
自分で言うのも気恥ずかしいのですが、生真面目な人には、そういう傾向があります。
だから、六割くらいで止めておく、余力を残すことを思い描いて、抑制しないといけないと思います。
体は一生もの。
軽い不調も積み重ねれば、大事になります。
健康は、失った時にそのありがたさに気付いてしまうということが、意外と多いのではないかと思います。
失わずに、今ある健康のありがたさに気付けたなら幸いです。
いつも、そのことを思わずにはいられません。だから、何度でも言います。
心にゆとりを。
投稿者プロフィール
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
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