独自の世界を生きる
いつからだろうか。
「みんなと同じでないといけない」という思いが自分の中に定着したのは。
だから「みんなと同じではない自分では、いけない」と思ってしまう。
しかし、その物差しがあると、却って苦しい思いをすることの方が多い。
そして、無自覚に、その物差しを他人に押し付けてしまう。
きっと、集団(自分を含む)のその無自覚の総和によって、誰もが持つ「独自の自分」を削ぎ落とそうとし、得体の知れない苦しさを感じてしまうのだと思う。
僕もまた、それに苦しんだこともあり、それにも拘らず、他人に押し付けてしまったことがある。
「◯◯さんと同じように、やれませんか」と言ってしまい、みるみる相手の顔に悲しさと怒りが募ってくるのが感じ、言ってはいけないことを言ってしまったと、痛烈に反省しました。
同じ仕事一つをやるにしても、当事者それぞれに性格、感性、熟練度は異なり、見えている世界もまた異なり、それぞれに独自の世界が見えていたはず。
事柄は変わりますが、以下のSNSも考えさせられました。
僕自身もまた、「みんなと同じ、普通」に収まらないことを恐れ、「みんなと同じ、普通」であることに安心感を覚えていたことが、多々あったと自覚します。
事柄は違っても、同じ根っこを突いているように感じました。
しばしば「皆、違って良いのだ」という言葉を耳にします。
しかし、そうい言いながら、行いでは否定していることが多々有るのです。
きっと、自分の根っこの本音に気付いていないからかもしれません。
実際の所、今の同調圧力が強く、高い同質性が求められている(と、僕は感じる)社会だと、僕は感じます。
敏感な子どもは、特にそれを察知するのかも知れません。僕も、いつからか、それに敏感になり、大勢の集団の中にいるのが苦痛に感じることが多くなりました。集団の中で、自分の独自の世界や感性を貫くのは、思いの外、大変だからです。
それでも、そんな自分を「おかしい」とは、全く思いません。
誰だって、独自の価値観や考え方に基づいた世界観を持ち、同じ現実の中でも、独自の世界を生きているからです。それは、僕が援助者として、クライエントから教わったこと。その独自性を尊重されることが、どれほど、僕自身も嬉しかったことか。
口で言うほど、簡単ではありません。
それでも、「みな、違って当然」、「みな、独自の自分を生きて良い」と言い続けたいと思います。
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