論理的に立ち直る

こんばんは。

今日は、こちらの投稿を基にお話しします。

落ち込む理由には、いろんな背景があります。

期待と現実の不一致、特に期待が叶わないことによって起こります。ただ、意外と気付かないのが、期待が過剰であること、高い自己評価、期待に適う行動ができていないということがあると思います。

言葉にして、いささか自分にも突き刺さりますが・・・。

ある人から、無闇に落ち込む必要はないと教わりました。その自意識に囚われて、自分は駄目なんだと思い込む暗示が一番危険だとも。だから、何を改善すれば良いかを見つけて、取り組め、と助言されました。

この一連の過程を、立ち直る、と言い換えても良いのだと思います。

過去の「落ち込んだ場面」を思い起こすと、「期待を実現するための行動ができていなくて、何も考えずに臨んだら、それは、上手くいかないよね」ということが多かったと思います。

「頑張る」だけなら、闇雲でも、いくらでもできます。しかし、適切な努力をしないと、努力も空回りします。

自分はやっているつもり。例えて言えば、真っ直ぐ前に進んでいるつもり。

自分は、真っ直ぐに進んだ体感があるにもかかわらず、客観的には「右に、左に、それていたよ」ということが、実際にはあるものです。

意外と、客観というのは、持つのが難しいようです。

非現実的なことを、本当に期待する人はいないと思います。

自分が期待したことは、妥当だと思ったから、期待したのです。期待外れは、その目測が妥当ではなかったということでしょう。

しかし、それは悲観することではありません。ただ、修正すれば良いだけです。

イチロー氏が、遠回りして、自分の最適解を見つけるといった趣旨のことを言っておりましたが、試行錯誤が不可欠です。

そういうものなのでしょう。だから、無闇に落ち込み、自分を卑下するのではなく、どうすれば良いか、頭を使うと良いということだと思います。

そうすれば、ちょっとは前向きになれるはず。

そうやって、精神力を行使することが、真に人間らしいと思います。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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