離れて見ると
こんにちは。
只中に居て見える景色と、離れた所から見える景色は、当然ながら異なります。
小学生の頃、登山遠足に行った時、自分が住んでいる地域を高い山から見下ろして、こんな風に見えるのかと感動した景色は今でも覚えております。
地域のど真ん中に居れば、自分の視界の範囲にあるものしか見えません。当たり前のことですが、視野にも限りがあります。同じものを違う角度で、例えば上から見下ろして、初めて違うものが見えます。
僕が高校を卒業して、一人暮らしを始めた時、初めて家の外に出る経験をしました。
一人は、自由でもあり、時には寂しくもあり、何もしない選択も出来るけど、やる時は全て自分でやらないといけなくなります。
一緒に暮らしている時は煩わしいと思った家族の世話焼きの一つ一つがどれほどありがたく、支えられていたかにも気付きました。
井の中の蛙。
慣用句としての言葉の意味を知ってはいたけれど、自分がそうであるとの認識したのはその時が初めてだったかもしれません。
煩わしいと感じた家族の世話焼きも、自分の家族がとても堅実で、いい加減なことをせず、家族を思いやるがための本当の善意や愛情でした。
そんなことも、離れて、一人で苦労してやっと知りました。
退職して、所属機関を離れるという出来事にも、離れて気付くことがたくさんありました。
所属して、決まった時間勤めれば、毎月決まった給与が支払われる。これをずっと当たり前と思ってきましたが、個人事業主となると、お金を稼ぐということがどれほど大変かが身に沁みました。
専門性云々も大事なのですが、(ちょっといやらしい言い方になりますが)いかに収益に繋がる仕組みを考えるのかがとても大事であることがよく分かりました。
組織で管理職として、経営のことも考えてきたつもりでしたが、他人任せにしていた部分が多くて、仕組みの全体を考えられていなかったのだと痛感させられました。
また、人間関係は、煩わしくもあり、助け合いでもあり、表裏一体です。
個人事業が良いのか、会社勤めが良いのか、どっちが良いかは、安易には言えません。自分が何をしたいか、自分の性質は何を好むのか、それを追求したいという気持ち一つに個人事業主はかかっております。それも両方経験したからこそ知れたことです。
これ以外にも、たくさん、離れて気が付いたことはあります。
また、所属機関に限らず、属した集団を思うと、それぞれに「性格」「特色」のようなものがあったと思います。
集団には、その集団のやり方があって、多くは集団の長、または長ではなくても集団の活動の要となる力を持った構成員によって、集団の性質や行動原理は大きく変わったりします。
抽象的にしか言えませんが、企業でも社長が変わったり、部署でも部署内の有力者が異動で居なくなると、がらっと組織の雰囲気や力動が変わることがあります。
集団の中にいると、無意識に集団の不文律、文化のようなものに適うように振る舞います。見えないけれども、確かにある組織特有の行動原理は、中にいると気が付かず、往々にして、外からやってきた新参者によって認識されることが多いです。
また、集団を離れて、別の集団に属すと、前の集団との違いという意味でようやく認識されたりします。異動や転職の経験のある方は、感覚的にこのことを分かっていると思います。
離れて見ると、初めて気が付くことがたくさんあります。
その気付きを味わい、時に楽しみ、時に過ぎたものに感謝し、時に今に活かすことも出来ます。
離れて見ると、今ここの価値を見出だせるかもしれません。
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