人が持つ「間」
『人』という字は『互いに支え合って「人」となる』
金八先生の有名な台詞です。
上手い言い回しだと思います。それは人々が潜在的にそう感じるから、人々の心を打ったのでしょう。
そして、「人」と「人間」の言い方の違いについて。
僕個人は、「人」と言った場合、生物学的なヒトという印象を強く受けます。
哺乳類、種としての人、肉体のある人など。
「人間」と言った場合、その「間」からは「社会性」「人間関係」が思い起こされます。
そこには、精神、心があり、それこそが人間らしさの証しです。
ちょっと理屈っぽくなりましたが、人の「間」に喜んだり、苦しんだり、それだけでなく、そこから学習したり、心を鍛えたりするのは、とても人間らしいと思います。
僕たちは、一人では生きてはいけないし、そうかと言って間が密になると苦しいし、常に人間は、この「間」の取り方に苦悩するのだと思います。
某芸能人が言っていた格言。
人は一人だと寂しい、しかし、二人だと煩わしい。
或る年配者が語っていたそうですが、僕も思わず、そうかもしれないと唸りました。
自分の幼少期等を経て、備わった性質があります。
普段は、間が密な方が良いか、緩やかな方が良いか。あるいは好むのか、
どんな時に密で合って欲しいのか、逆に、どんな時に密であって欲しくないのか。
密と緩やかの度合いも含めると、その組み合わせは数えきれないほどの類型があるのだと思います。
他の動物にも、個体間の凝集性はあると思いますが、人の「間」に助けられ、時には苦しめられ、ひたすた考え続けるのは、やはり人間に固有なのだと僕は思います。
自分に最も適した「間」、最適解を見出だせたら、少しは対応しやすくなるでしょうか。
それとも、対応する相手の数や場面の数だけ、考え続けることになるでしょうか。
ずっと一人がいいとは、簡単には言えません。
ずっと二人がいいとも、簡単には言えません。
人の性質とは、実に不思議なものです。
だから、自分の基本的性質を踏まえて、状況に応じた、複数、存在する最適解を見出だすことになるのだと思います。
その複雑さもまた、人間らしいと言えるのかもしれません。
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