適応しようと、し尽くした労があるのなら
人は、実はどれほど自分が無理しているのかを、なかなか知ることができないのかもしれません。
自分の感覚、心の状態を察知するよりも、自分の外の規範に当てはめて自分を判断しがちだからです。
僕自身の感覚も相まって、とても共感しました。
誰しもが、学校だったり、会社だったり、位置する共同体に必死に適応しようとします。意識せずとも。
そして、適応出来ないことを「良し」とは自他共に看做しません。
もちろん例外もありますが、そのような傾向はあるのではないでしょうか。
学校や会社で必死に耐えている人はたくさんいることでしょう。
耐えなくていけないのは、何かしらの「苦しさ」があるから。
その「苦しさ」に耐えることが当然なのだという不文律は、きっと多いことでしょう。
そのような空気を人は敏感に感じ取り、異論を挟もうものなら排除される雰囲気をさえも感じれば、なおさら必死に適応しようと振る舞います。
しかし、必ずしも、適応しなければならないという一択ではないはずです。
大人であれば、職業選択の自由があるように、就学児童や学生にだって、本当は場所や機会がもっと確保されてもいいはず。
要は、「別の道(選択肢)」があるかどうかで、重圧の感じ方が変わります。
人には、自分に見合った環境を探そうとする力もまた在ります。
ならば、その力を行使する機会をも尊重されて然るべきです。
僕個人は、学校に行きたくないと思ったことは何度もあります。
理由で何であれ、そう思う方は実は少なからずいるのではないかと思います。
仕事も、無断欠勤にはしませんでしたが、「どうしても」と急遽、有給休暇を消化したことは何度もあります。
休息を宣言しなければならないほど追い詰められることは何度もあるのです。
そんな時、心の中は、休んだ自分を責める声(自分の中に植え付けられた「世間一般的な社会規範」)との戦いが繰り広げられておりました。
そんな気持ちを重ね合わせると『その苦しみはわかってほしい』という言葉が僕の口からも出てきそうです。
もし、立ち止まることすら許さないということがあるのなら、そんな歪んだ規範とは何としても戦わねばならないという義憤に駆られるのです。
適応しようと、し尽くした労があるのであれば、その人の味方になりたいと思うのです。
たった一人でもいいから、味方を見つけて欲しい。
一つでも多く、安全で安心していられる場を確保して欲しい。
そう願って止みません。
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