決断の実践知
昨日の記事でも引用した方の、別の投稿内容がとても大事なことに触れていて目が留まりました。
この方は、就労支援をしている支援員としての意見を述べております。
そして、この内容は、すべての人にと言っても良いくらいに当てはまる、大事なことです。
自分の生き方に関わる決断は、誰かに安易に委ねてはならず、自分で決定を下すべきです。それが、自立且つ自律して、生きるということに繋がるからです。
個人的な話ですが、昔、我が子の進路について、我が子と少し議論になったことがあります。要は、自分の進路の決め方が分からないということが課題でした。
親としては、進路を決める上で、何に目をつけないといけないのかから説明しました。
最初に、漠然とでもどんな将来像があるのか、どんな分野に関心があるのか。そこから、おおよその方向性をまず導き出すこと。次に、その方向性に進むために何を学ぶ必要があるのか、あるいは方向性が定まらなくても、いつでも方向転換が利く程に幅を持たせられる学舎はどこなのか。且つ、自分の学力等と見合うのはどれか。どの選択肢にも必ず長所や短所はあるが、その中でも最善なのはどれか。
その中で、親としては、良かれと思って、○○の分野の学びを勧めたり、○○の学校だと社会的評価が高い等、やや盛りだくさんな情報提供と指導をしました。
結論的に、親が勧めた『○○の分野の学び』とやらは、我が子には合っていなかったようで、意味がなかったと後に言われ、散々な結果となりました。しかし、代わりに別の○○の分野を見つけてきて、大変ながらも前向きに取り組んでおりました。
個人的には、このことはとても学びになりました。
援助職として、「自己決定」については十分に理解し、当事者が決定するべきとは分かっていても、我が子となると、余計な欲が出て、自己決定を歪めかねないこと、自分がそうする危険があることが理解できました。
何より、我が子自身、自分で、自分の学びたい分野は自分で見つけて、取り組む力があるのだという当たり前のことを親としても理解しました。もし、我が子が親の勝手な思いをはねつけられなかったら、鬱屈した思いを抱えて過ごしていたかもしれません。
決断は簡単ではありません。だからこそ、決断はたくさん悩んで、経験してもらった方が、上手くいかなかったことも含めて、次の決断の場面に活かされるのだと思います。
安易に決断を誰かに委ねるようになると、『委ね癖』がつくかもしれません。それは自立(且つ、自律)から遠ざかるだけです。
我が子の例から学ぶに、自分で決断したからこそ、それを引き受ける責任感も粘り強さも、取り組む動機づけが生まれたのだと思います。
「決断の仕方」は、簡単に教えられるものではありません。頭で理解出来ることだけでなく、展開しながら見える光景(楽しさ、不安、焦り、喜び)の体感も大事です。言うなれば、それらを引っ括めた『実践知』の積み重ねにこそ意味があるのだと思います。
決断の実践知は、たとえ分からなくても、難しくても、考え抜いて決断して、決断を引く受けた実践経験が無ければ見出だせないのだと考えます。
情報提供をして、時と場合によっては選択肢を提示し、しかしながら、決断は本人がするべきです。それが「生きている」ということの証でもあると思います。
投稿者プロフィール
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
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