人とは違う道を行く意味
映画「耳をすませば」の中の台詞。
よし、雫。自分の信じる通り、やってごらん。でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにもできないからね。
映画ひとっとび
皆と同じ道を行き、大勢が歩む道なのであれば、周囲を参考に進むことが出来ます。
もし上手くいかないことがあっても、同じ道を行く者に相談したり、真似たり、直接的に、あるいは間接的に「支え手」が多いのは間違いありません。
その方が無難だと考える人が多いかもしれません。
しかし、周りと同じであることが目的となったり、誰かに付いていくだけで、自分で考えることを止めたりする弊害もあります。
誰かと同じように、皆と同じようにと思うほどに、本当は自分がどうしたいのかを見失うこともあります。
人々の心の内に、人と違う生き方を進むことに対して、少なからず、羨望の思いがあるのではないでしょうか。
きっと、「難しい」「大変」「恥をかく」など言い訳をして、諦めた経験が、大なり小なりあるのではないでしょうか。
人と違う道は、少数であるが故に、そもそも道筋が不明確なことがあります。
そこにどんな危険があるか、どんな準備をすれば良いか、どんな心づもりでいたら良いか、何もかもが手探りです。
道の中ばで、「上手くいかない」「分からない」「辛い」と思うことがあるかもしれません。しかし、最初からそんな道であることは分かっていたはずです。
きっと躓き、壁にぶつかり、自らの非力さに打ちのめされることは数えきれないほどあることでしょう。
それでも進みたいと思った気持ち、初心、動機があったはず。
七転八起。拳闘と同じで、何度倒れても、最後まで立っていた者の勝ち。
人と違う道(少数派)の歩く過程それ自体が、人間形成や職業技術等の鍛錬の道だったりする。
必ず成功しろとは決して言えません。
ただ、歩くからには、その道を歩んだ意味があったと、その道を歩んだ経験がその後の人生を支えるほどであったのなら最善だと思います。
全ての躓きを他者のせいにせず、自分に回帰して、自分を磨く過程。
孤独に負けず、当たり前を疑い、常識に抗い、自分を貫き、自分に打ち勝つ過程。
自分の道を歩く意味にはそんな意味があるのではないかと思います。
そして、誤解を恐れずに言えば、そこまで深く考えなくても、自分が歩きたい道なら歩けばいい。理由も意味も目的も後から付いてくることもあるからです。
楽しさと苦労と何かしらの成果。つまりは、生きているという実感だったりします。
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