後悔と教訓
こんにちは。
SNSで知ったのですが、昨日は介護支援専門員の試験日だったようですね。
僕も十数年前に介護支援専門員の試験を受けました。その時は、一度は試験に落ちて、とても大きな後悔を味わい、その翌年にもう一度試験を受けてやっと合格できました。
落ちた原因を挙げようと思えば幾つも出てくるのですが、一言で言えば『考えの甘さ』です。
一つは勉強の仕方です。制度の大改訂があった年だったので本来であれば、それに対応した勉強をするべきでしたが、それが出来ておりませんでした。また、一般的に国家試験の類は過去問・予想問題集を繰り返し解くことが有効ですが、それも出来ておりませんでした。
二つ目は心構えです。合格率は確かに高くはないのですが、その年までは決して難しくないという大方の見方があり、難関に挑むというよりは、「きっと受かるでしょ」と甘く考えていた部分があったと思います。そのことが慎重さを失わせ、隙を生みました。
試験後に、ネット上で出る回答速報を見ながら、どうやら確実な合格とされる基準まで『あと一点足りない』事が判明しました。その時、さーっと血の気が引きました。
結果が明確に分かるまで希望は捨てないつもりでしたが、結果は予想通りの不合格で、正直、目の前が真っ暗になりました。
それから、強烈な後悔がやってきて、いろいろな感情が入り混じり、暫し呆然としていたと思います。
少し気を取り直して、ノートに何が悪かったのか、これからどうすれば良いのかをひたすら書き殴りました。なぜそうしたのか、自分でもよく分かりません。ただ、この後悔を自分の心に刻まねばならない、この出来事を絶対に挽回しなければ自分は前に進めないと強く、強く感じました。
『こんな思いは二度とゴメンだ』と思い、その後、一年間は、息切れしない程度に頑張り続けました。そして、翌年の試験では、試験終了後に「これは絶対に受かった」と思える手応えを得て、結果もその通りでした。
僕にとっては、一つの挫折だったと思います。
当たり前ですが、後悔先に立たずです。失った時は決して取り戻せません。
それでも僕にとっては、落ちたことによる教訓の方がその後の人生に活きたと思います。『結果を得るに相応しくない積み上げをしたのでは、結果は得られない。』『結果は、過程の反映。』『頑張り方を間違えると、結果は伴わない。』どれも当たり前のことですが、頭で分かるよりも、体感による学びの効果は甚だしく、これが教訓ということか、ととてもよく理解出来ました。
長い目で見ると、大事な過程でした。もし、この経験がなければ、その後、もっと大きな失敗をしたかもしれないと思います。
出来ることなら、本当は、後悔せずに教訓を得られたら幸いです。中には、どうしても取り戻せないこと事柄もあるからです。
だから、自分が経験出来ることにも限界があるので、他者の経験を自分ごととして学べるのが一番賢明だと思います。
それでも、後悔がある方が、より強い教訓となるのも事実。後悔も教訓も、天からの授かり物のような側面があるのかもしれません。
だから、僕に与えられた、僕が味わった後悔と教訓は大事にしていこうと思います。
投稿者プロフィール
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