せめて想像させていただこう

人生の苦難はたくさんある。

しかし、「これが苦難だ」と事柄を挙げるのははばかれる。

決めつけになるからだ。

「困っている」ように見えても

「困っている」と決めつけることはできない。

それは本人が決めることだから。

ただ、時に、「お節介」が有効なこともあるけれど。

一人の人間が経験できる事柄など高が知れている。

「貴方のことが分かる」などとは、おこがましくて言えない。

だから、当人の語りを聞かせていただき

その状況を想像させていただこうと思う。

それが何の役に立つのかは分からない。

意味があるか否かと言うよりは、

僕にとっての、聞く側としての、礼儀・作法だと思っている。

少しでも、相手の側に立ちたいと思う。

しかし、当人では無いことの限界がある。

そこも弁えなければならない。

僕が力になれたかどうかと思えるよりも

相手にとって、力になってくれたと思えるかどうかが大事。

カウンセラーには、無力感に耐える力も必要だ。

相手の話を聞き

その思いを僕の心に宿して

せめて、想像だけでもさせていたきたい、とだけ言わせていただこう。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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