せめて想像させていただこう
人生の苦難はたくさんある。
しかし、「これが苦難だ」と事柄を挙げるのははばかれる。
決めつけになるからだ。
「困っている」ように見えても
「困っている」と決めつけることはできない。
それは本人が決めることだから。
ただ、時に、「お節介」が有効なこともあるけれど。
一人の人間が経験できる事柄など高が知れている。
「貴方のことが分かる」などとは、おこがましくて言えない。
だから、当人の語りを聞かせていただき
その状況を想像させていただこうと思う。
それが何の役に立つのかは分からない。
意味があるか否かと言うよりは、
僕にとっての、聞く側としての、礼儀・作法だと思っている。
少しでも、相手の側に立ちたいと思う。
しかし、当人では無いことの限界がある。
そこも弁えなければならない。
僕が力になれたかどうかと思えるよりも
相手にとって、力になってくれたと思えるかどうかが大事。
カウンセラーには、無力感に耐える力も必要だ。
相手の話を聞き
その思いを僕の心に宿して
せめて、想像だけでもさせていたきたい、とだけ言わせていただこう。
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