学校の裏山
こんばんは。
今日は「学校の裏山」という題でお話しします。
漫画「ドラえもん」の中に、「学校の裏山」という場所が登場します。
細かい話は忘れましたが、主人公ののび太君が時々、裏山で考え事をしたり、ぼーっとして過ごす場面があったと思います。
子どもの頃は何も気にすることなく見ておりましたが、年齢を重ねるにつれて、「学校の裏山」はとても大事な場所なのではないかなと思うようになりました。
僕が高校生の時、近くに大きな公園があって、それはまさに「学校の裏山」でした。
ある時、友人と二人で、授業をサボって、その「裏山」に行ったことがあります。
授業をサボったのは初めてで、ちょっとドキドキしながら公園の中を散策しました。授業をサボったのは悩み事があって、どうしても授業を受けるような気分になれなかったからです。
「それは理由になるの」と言われれば、「ならない」とも言えるし、「そうせざるを得ない事情があった」とも言えます。
その授業の間、公園で友人にいろいろ話を聞いてもらった記憶があります。今でもはっきりと覚えているので、僕にとっては大きな事だったのだと思います。
僕の場合、あからさまにサボると後ろめたさが生じて、あまり良い気分になれません。
それでも、最初の公園に行った時だけは、やむを得なかったと今でも思います。
僕にとって「逃げ道」として許容される「逃げ道」は、怠惰や怠慢によるサボりではなくて、「どうしてもやっておかなければならない」ことがある場合、どうしても辛くて居ても立っても居られない場面なのだと思います。
「安易に逃げたら駄目」「我慢するだけでは良くない」
相反する規則が自分の中にありますが、それが両立するのは上記のような場合なのだと思います。
簡単に「逃げてもいいよ」とは言えません。
けれども「逃げた方が良い」場合があるのも事実です。
「逃げた」と言うと印象が悪いかもしれないけれど、道から外れてみないと、その道が本当に良いのか確認ができないこともあります。
一時的に外れて、元に戻ることもあれば、違う道を歩くこともあるかもしれません。
どちらにしても、「この道しか自分に許されないのだ」という過度な気負いがあるならば、それは違うと言っても良いのではないかと思います。
「学校の裏山」とは、今歩んでいる道から、ちょっと間合いを外してみて、今の歩き方で良いのかを確認する時と「場」でもあるかなと思いました。
子どもでも、大人でも、何かあれば「学校の裏山」という手札(カード)を切っても良いかもしれません。
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