語る内容がその人の位置を語る
こんにちは。
人さまの投稿ですが貼らせていただきます。
何だかいろいろな連想が始まりそうな、そそられる内容です。
人は、誰かのせいにしたがるものかもしれない、と思いました。
僕はどちらかというと「自分のせい」「時のせい」にする傾向があるかもしれないと感じました。
誰かのせいにしたがる状況は、当然、好ましからざる状況。
そんな時は、黙って受け止める方が却って辛い。
誰だって、何かしらの、その大変さに釣り合いの取れる「理由」を欲する。
理由が無く、受け入れ難い状況が起きることこそ、実は受け入れ難い。
自分の悔しさや辛さに報いるために、合理的理由を作りたがる。
たとえ、本当に他人が悪い訳でなかったとしても、「人のせい」にしたくなることがある。
たとえ、本当に自分が悪い訳でなかったとしても、「自分のせい」にしたくなることがある。
「誰のせいでもない」ことに耐えられないこともある。
どんな事柄であっても
語る内容が、その人の位置(心の有り様)を表すのは間違いないと思います。
けど、見栄を張って「誰のせいでもない」と思う必要はない。
思ったことは、そのままでいい。
なぜそう思ったか、これからどうするか、自分はどうありたいか。
それを考えることの方が大事だから。
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