自分を見失う時

こんにちは。

某漫画にて「おじさんの年齢になると、自我が仕事と家庭に吸収される」という台詞がありました。

「おじさん」の定義の詳細はともかく

四十代か、その前後、仕事でも脂が乗り、働き盛りを迎え

組織においても重責を担うようになり忙しくなるのは「おじさん」の時でしょう。

家庭があれば、子どもが大きくなり

直接的に手をかけたり、また、学費がかかったり

自分のことよりも家族のことを第一に考える時があるでしょう。

忙しい時は、ある意味、集中できているので、前しか見ていないと思われます。

ある意味、前のことだけ気にしている状態です。

そんな時、自分がどんな状態かが分からなくなることもあるかもしれません。

何かのために「自分を犠牲にする」とは、美談かもしれないし、そうで無いかもしれません。

もしかすると、自分を置き去りにして、自分を見失うこともあるかもしれません。

それは誰にだって起こりうること。

「自分を見失う」とは不思議さを感じる言葉です。

「自分を見失う」ことを経験して、自覚して、「あの状態は自分を見失っていた」と気付くことかもしれません。

「自分を見失う時」は決して何も考えていなかった訳ではありません。

その時は正しいと思って突き進んでいることが多いと個人的には思います。

自分を見失うとは、一例として

「自分が本当はどう感じているかが分からなくなる」

「自分の存在意義が分からなくなる」

「自分の進むべき道が分からなくなる」

きっと他にもいろんな「自分を見失う」の形があることでしょう。

それは決して悪いことでは無いと思います。

『「自分を見失う」という状態に陥ることがある』と知ることが出来たから。

「自分を見失う」という状態に陥った要因を探ることでより良く生きられるから。

見失った「自分」をまた見つけることができるから。

そこにたくさんの気付きがあるでしょう。

今起きていることから素直に学び、糧に出来るなら幸いです。

決して一人で立ち向かうだけでなく、他者の力を借りて「自分」を見つけることもあるでしょう。

だから、自分を見失っても、また見出せばいい。

何も無かった時よりも、良くなっているはず。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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