心の妙
こんにちは。
人の心、自らの制御は、「こうしよう」と思ったからとて、そのようにはなりません。
人の心は実に複雑で、精神力動理論的に言えば、意識もあれば、無意識もあって、時にそれらが絡み合って、為そうとしたいことを助けたりもするし、妨げたりもします。
本当に不思議です。
徒然草 第百十段
双六の上手といわれた人に、勝つ方法をたずねたところ、「勝とうと思って打つな。負けないよう打とうと思って打つがいい。どんな手を打ったら早く負けるか、よくよく考え、そういう手は打たずに、一目でもおそく負ける手を選ぶことだ」と言う。
その道をよく知る人の教えである。身を治めるのも、国を保つ道も、これと同じだ。
「すらすら読める徒然草」(中野孝次)
このブログでもしばしば紹介する徒然草。僕は大好きです。
約八百年も前に、これほどまでに鋭い観察眼を持った吉田兼行という人物の書かれた書物は、これこそ読み継がれた古典の名著です。
そして、勝とうと思わず、負けないようにと打て、という逆説的な視点は非常に独特です。
勝負事を経験したことのない僕ですが、幾らか、感覚的に、理解できるところがあります。
対人援助でも、こうすれば間違いない、こうすれば最短だと思う「手」が思っても、自分(我)に囚われて、相手を慮る気持ちが少しでも欠けると、上手くいかないことが多かったように思います。
徹頭徹尾、相手目線で居られた方が、多少の遠回りはあっても、収まるべき所に収まっていくものです。
どういった仕組みでそうなるのか、よく分かりません。
為そうとするより、あえて為さずに、相手を想うことの方が、却って事が進む不思議があります。
また、例えば、このブログ記事でもそうかもしれません。
「書こう」「早く」と思うほどに、言葉が自分から遠くなるように感じます。
書いている中身と言葉と自分自身が一致しないような不思議な感覚があります。
「前もって、あれを書こう」と思っても、いざその時に、その題材に対して、心が燃えていないと、自分でも綴っていて苦しくなる事があります。
だから、パソコンの前で、ゆっくりと黙していると、書くべき事柄の方から、僕の方にやってくる感覚があります。
こういう感覚があることを若い頃は全く理解できなかったし、魅力も感じませんでした。
さながら、剣で言えば「理」のような感覚、そんな世界があると気付きました。
「理」にしろ、先の徒然草で語られていることの詳細や意味するところは、言葉で言い表すのが難しくて、言葉にしても、どこか感じたものの十分の一くらいに小さくしか表現しきれません。
片鱗の言葉だけで、感じ取り、それでいい。分かる時がやがて来て、その時に自ずと分かる。そんな妙なのだと勝手に思っております。
こういう感覚を知るほどに、自分が知っていたつもりになっていた人生もカウンセリングも、見つめ直すと、これまで思っていた以上に、実は深かったのだと感じます。
こういう心の妙が大好きです。
投稿者プロフィール
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。
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