人に気に入られる必要は無い
こんばんは。
たまたま『人に気に入られるためには何でもする』という言葉を見つけ、ドキッとしました。
この言葉は薬物依存を経験した方のブログの中で語られたものです。
「人に気に入られるためには何でもする」のは意外かもしれないが、薬物依存症の人にもよく見られる特徴のひとつだ。
(略)
もともと自己肯定感が低く、人から認められることを重視するあまり、本当の自分とはかけ離れた役割をいつの間にか演じていたと思う。
(略)
他者との距離感や関係性がうまくつかめず、存在意義に囚われていたため、自分の行動や思考の主体が何であったのか全くわからなくなってしまっていた。その過程で仕事に対する報酬も自己矛盾を深めるばかりで、自分の心がどこにあるのか見失っていた。しかし、その原因も他でもない自分自身にあったとは、その頃は自分に余裕がなくて全く気づかなかった。
noteブログ(あいひん)
こういった心は、、程度の違いはあれども、身に覚えがある方はいるのではないでしょうか。
個人的には、経験ありと感じます。
自己肯定感が低かった時、確かに人から認められると嬉しく、それによって充足しようとしたことがあったと思います。しかし、極論ですが人から認められていないと、自分の存在に意義が見出だせないようでは不健全です。
そのうち『ノー』を言えなくなって、雪だるま式に重荷を抱えて、苦しくなります。その困難に挑むことに対して、時にやりがいすら感じたこともありましたが、『心身を壊すから、速やかに止めなさい』と過去の自分に伝えたいです。
「人に気に入られるためには何でもする」と、引用分にあるように自分の心を見失います。
自分は本当は何をしたかったのか、自分は何を感じていたのか。
自分で気づかない内に心のコップ(杯)から水が溢れ、風船のように膨らんだ心が弾けてしまいます。この「溢れる」「弾ける」がどんな状態を指すのかは人によって様々だと思います。特に何を指すとは申しませんが、そんな状態に心当たりがあったら、自分を見つめ、改めるべきは改めるのが良いと思います。
ところで、これに関連して、こちら(ツイッター)にある漫画『この世は戦う価値がある』は、「人に気に入られるためには何でもする」生き方をしてボロボロになった主人公が、生き方を変える姿が描かれています。
なかなか面白いテーマを上手く描いていると感心しました。
先ほどもいったように、人に気に入られようとする、人の期待に答えようとすることは、程度の差はあっても、多くの人に経験があると思います。しかし、「何でもする」となると、常軌を逸した状態に陥っております。
誤解を恐れずに言えば、僕は人に気に入られる必要は無いんじゃないかなと思います。
ちょっと前に『嫌われる勇気』というアドラー心理学の本が人気を博しました。興味のある方は図書を読むなり、内容の紹介はネット上に沢山あるのでご覧になってください。答えは、そういうことではないでしょうか。
自分を生きよう。その方が納得できると思います。
もちろん、「自己中」だけということでは無く、自立した心で他者へ貢献する思いがあれば最善です。(ちょっと説明の加減が難しい所です。)
少し極端なことを言ってでも、自分を見失っている人のために、そのように伝える価値はあると思います。
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