個人的危機
こんにちは。
昨日の夕方、自宅に戻って、ふと車に目を向けると後輪のタイヤが妙に沈んで見えました。
我ながら、よく異変に気付いたと思いました。
タイヤを指で押すと、自転車のタイヤと見間違うほどの柔らかさで空気が抜けているのが明らかでした。
情けない話ですが、少々混乱しました。(車のタイヤのパンクは初めて)
時刻は十八時前後、迷わずいつもお世話になっている自動車販売店に電話をしました。
幸い、今からでも見てくれるとのことで急ぎ取扱店に向かいました。
販売店に到着し、すぐに点検しますとのことで、店内で結果を待ちました。
まるで自分の家族が救急車で運ばれたかのような感覚だな、と思いました。
一番気にしたのは、タイヤごと交換となったら高くつくという心配でした。
結果として、小さな金属片が刺さっていて、金属片の摩耗度合いから刺さって時間は経っていないようであり、タイヤ交換では無く、タイヤ修理(一千円弱)で対応できるとのことでした。
とてもほっとして「それで済むのであればお願いします」と即答しました。
不幸中の幸いでした。
もし修理が遅くなったら自動車販売店までの走行もままならなかったかもしれないと胸を撫で下ろしました。
いつものことですが、危機は想定外の死角からやって来ます。
この程度でも、僕にとっては危機だったのです。
この状況を危機モデル(アギュララ)で分析すると
深刻な危機状態に陥らずに、均衡を保持できた三つの要因をこの中に見出だせます。
(一)出来事への現実的な自覚:起こっていることが現実のことであると理解できる
→現実のこととして受け止められないほどの(災害や事故のような)事態・衝撃は無かったこともあり、「即座に対処しないとまずい」ということは、直ぐに認識できました。だから即座に次の行動に移せました。もし、「気のせい、大丈夫」と思ったら適切な対処はできなかったと思います。
(二)危機に対して適切な対処能力を持っていること:対処した経験の有無
→タイヤのパンクは初めてでしたが、車の事柄で自動車販売店には何度か助けてもらったことがありました。そのため、「早期に相談して点検」という対処が頭に描けました。
(三)適切なサポートの有無
→自動車販売店がこれに当たります。車の故障や不具合ではいつも助けてもらっております。
ちなみに、上記の三点が十分に保持できている場合、危機に陥らず、対処または回避できるとされます。本当の危機介入は、この三つを短期的に迅速に補っていくことを目標とします。
タイヤのパンクで大げさかもしれませんが、小さい事柄でも危機モデルの原理は当てはまるのではないかなと思って、取り上げてみました。
現実を受け止められる理性が働く、コーピング(対処)能力がある、支援体制(活かせる社会資源)が大事とは、その通りです。
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