「忙しい」の意味
こんにちは。
今日は「忙しい」の意味について考えてみます。
今から述べることは個人の考えです。特定の業務や業種を非難するものでも無く、あくまで「生き方」を考える上で「忙しい」とはどういう事を指すのかについての個人の考察です。
僕は、十代の頃から、暇を嫌い、忙しさを好んできたと思います。理由は、暇だと時間が長く感じるからです。自分で行う作業(勉強だったらり、仕事だったり)が明確にあった方が、良くも悪くも夢中になることができて、気がついたら時間があっという間に過ぎるからです。
小中高の時、どうしても教室に拘束されることに窮屈さを感じてしまい、授業が終われば、この拘束が終わると思っておりました。だから、時間よ早く過ぎよ、といつも思っておりました。(僕だけでしょうか)
社会人になってからも似たようなもので勿論、仕事の楽しさはありましたが、やはり仕事が終わると解放された気分になってホッとするのは偽らざる本音です。
僕の場合、「意味もわからずに、じっと我慢しなければいけない」という精神的苦痛を感じないために、忙しさを欲してきた側面はあると思います。
その内、だんだんと、「世の中は忙しいものだ」「仕事が忙しいのは充実していること」という考えに染まっていったように思います。
現在は、雇用されている状態ではないので、忙しくもできるし、暇にすることもできる状態なのですが、敢えて「忙しくない状態」にすると、物事の一つ一つを味わう(堪能する、熟慮する)ことができていることに気がつきました。
この「物事の一つ一つを味わう(堪能する、熟慮する)」という感覚を知らずに生きてきたわけではありませんが、じっくり味わうとこれがなかなか心地よく、楽しく、どうしてこんなにも大切なことを見落としてきたのだろうと思いました。
僕にとって、「忙しい」とは「早食い」且つ「大食い」の状態に例えられます。食事を味わう、楽しむことなど二の次で、兎に角、腹の中に入れればそれでいい、腹が満ちればそれでいいという状態です。
実際の食事の場面だったら、作ってくれた人や食卓を共にしている人に対して、すごく失礼なことをしております。
品の悪い話ですが、食事をしながらテレビや新聞を見たり、スマホを見てしまうことがあります。
品の良い行為ではないとわかるのですが、他人がしているのを見ると、とても見栄えが悪いと感じてしまいます。食事に集中しないで、余計なものを見て、何がしたいのだろうと自分に問うのですが、はっきり自分でも理由がわかりません。ただ、自分一人の世界に籠っているようにも見えます。少なくとも、食事に感謝して味わっているとは思えません。(僕の場合)
また、以前にワーカホリック(働きすぎ)に相応しいほどに多忙だった時期があります。その時に充実したかといえば、実は辛さの方が優ります。早く対処しないと雪だるま式に仕事が増える危機感に追われて、一つ一つを味わう余裕などなく、言い方が悪いですが「片付ける」に近い状態だったと思います。目の前の一つを大切にできていないように感じるのは先の大食いの例えにも重なります。
ちょっと怖いなと思うのが、忙しさも過ぎると、その時の記憶が曖昧になることです。記憶する余裕がなくなる、たくさんの出来事が有り過ぎて、いつ、どこの場面の出来事だったか記憶の整理が追いつかないという意味です。忙しくなったことにはやむを得ない側面があったものの、いろいろな方々に悪いことをしたなと思うことがあります。
業務量が多い方、重責を担っている方は「忙しくない」ということは考えられないという方もいるかもしれません。どう対処するべきかを僕が下手に言える立場でもないのですが、それでも敢えて「忙しくない」方が実は良いのだということは変わらずに主張したい所です。
結論として、僕が暇を嫌った理由(暇になって時間が長く感じるのが苦痛)は、僕の勘違い、自らの精神の活かし方を知らながったがための勘違いだと思います。むしろ、余裕がないと、物事の一つ一つに備わっている素晴らしい味を堪能できず、損だとすら思います。そして、意外にもその方が実は生産性が上がるということもあったりします。
心が滅ぶと書いて「忙しい」とは本当だと思います。ちなみに、暇があってだらだらすれば良いとも思いません。やることを詰め込み過ぎるのはいけませんが、時間を無駄遣いしてもいけません。物事の一つ一つの意味を、自分の心の声を聞きながら熟慮するには適度にゆとりが必要だということ、その状態の方が遥かに充実を感じるというのが現時点での考察の結論です。
言い換えると、マインドフルネスのように、あるいは過去の偉人の言葉にもあるように、「今ここに」集中していられる程のゆとりが持てる加減がちょうど良いということです。
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