無音の中の音

こんにちは。

昨日、東北自動車道の一戸付近の山間部を

通っていた時、桜がまだ咲いているのが

見えました。

もう桜は散って終わったと思っていたので

珍しさと嬉しさが込み上げてきました。

個人的には、今の生活になってから、自然の

彩りや音がこんなにも美しいと気付けたのは

大きな収穫、自分の変化でもありました。

ところで、以前は、早歩き散歩(ウォーキング)

する時は音楽を聴いておりました。

音楽の刺激が心地良かったり、聞き入って

楽しんでいたのですが、ある時、

自然を全く楽しんでいないかもしれないと

思うようになりました。

音楽という刺激の無い、無音の状態は物足りなく

無いだろうかと思ったのですが

全くそうではありませんでした。

無音だと思っていても、外は賑やかです。

車などの音はともかく、風の吹く音、

今だったら、雉の鳴き声、鶯の鳴き声が

頻繁に聞こえて来ます。

それらが、その時に聞こえていなくても

自分の呼吸の音、微かな関節などの軋み

筋肉の強張りも感じられます。

一つの刺激がなくなると、もう一つの

小さな刺激の存在に気付くことができます。

「足元を見つめる」という時は

もしかして、こんな感覚を指すのだろうかと思いました。

散歩中に考え事をしたりもしますが、没頭すると

無音の中の音は急に認識できなくなります。

耳をすまそうとしなくても、頭の中、耳も

静かにしていれば音の方からやって来てくれます。

不思議なものです。

もしかしたら、まだ聞いていない音

見えていない何かがあるのかもしれません。

きっと、無音のようでいても

真の無音など無くて、何かしらが音を奏でているようです。

こういう感覚に気付くと、静けさが思いの外、貴重に思えます。

金を掛けずにできる楽しみでもあり

瞑想しているかのような不思議な感覚です。

こういうのも悪くないなと、思う今日この頃です。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と援助職のためのカウンセリングをご提供しております。

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