自分研究
こんばんは。
取り扱い説明書を「トリセツ」とも言うそうですね。
何年か前にそんな歌がありました。個人的には面白い歌詞だと思いました。
この歌が出るずっと前から結婚式の挨拶でこの歌詞のように、新婦のトリセツを参列者が楽しめるように面白くして話すというのは聞いたことがあります。
ちなみに歌の「トリセツ」には「要求されている」ようで良い気がしないといい厳しい声もあるそうな。確かに、自分には「こう接してください」と言うといろいろ問題がありそうです。
ただこの話の良い点は「自分で自分のことを言葉で説明できるほどにわかっている」ことにあると思います。
僕は勝手にこれを自分研究と名づけておりますが、結構重要なことではないかと思います。
例えば『気分がもやもやした時に自分は○○してしまう』という行動は誰にでもあるかと思いますがこの○○がお金や時間を浪費したり健康を害することだったりすると問題が生じることがあります。けれども○○をしなくても、別の何かで気が紛れたことがあるのであれば、それは記録してでも代償の手段として覚えられて然るべきだと思います。
個人的な話ですが、日中に目一杯に活動するととても疲れて、何か「面白いこと」で疲れを癒したい衝動に駆られます。その何かの一つにスマホで動画を見ることが挙げられます。しかし、なかなか適度ですまなくて夜更かしして、次の日に寝不足という本末転倒な事態になることもあります。見ないで済むのであれば最善なのですがそうもいきません。ある時、寝ながらスマホではなく、体を起こしてパソコンで見ると、流石に眠くなると「もう寝よ」と速やかに睡眠に切り替えることができました。これはあくまで自分の場合なのですが、自分の生態をよくよく自己観察すると些細なことから解決の手掛かりを見つけることがあります。
これをきちんと行うのが応用行動分析だったり認知行動療法だったりするわけですが普段からそれをやるのは重荷です。自分の場合は、心を軽くするために心の中にあるものを思いつくままに日記のように書き綴る習慣があり、つらつら書いているとある時に気づきが得られたりします。その一つがこれです。「動画は見てもいいけど、夜間は寝ながらではなくて起きてパソコンで」とすると、だらだらスマホは防止できそうです。
こんな感じで、何をした時に心地よいと感じたのか、何をした時にそうではなかったのか、なぜその行動をしたのか等を自己分析するといろいろ発見があります。きちんとやると辛くなるのであくまで適当(良い加減)が大事です。ゆるーく、しかし「これやって意味あるのかな」と疑いが起きない程度の加減が自分には合っている匙加減です。
自分研究でもあり、自分のトリセツでもあるのかなと思います。但し、このトリセツは他者には見せず自分限定です。また人は常に変化していきますから、その内容も変化していくことでしょう。少し、自分が制御できている感覚、自分を知っている感覚があると僕の場合は安心感を覚えます。あなたはいかがでしょうか。
カウンセリングはある意味、自分研究を尋ねることでもあると思います。もしカウンセリングでご一緒する機会がございましたら教えてくだされば幸いです。自分研究は立派なあなたの作品です。
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