見直したもの
こんにちは。
最近、徒然草を読むようになりました。
あの「徒然草」です。高校の古典の教科書に載っていたやつです。
ちなみに高校の頃は古典の文法がさっぱりわからず、こんなの勉強しても自分の人生に何の意味もないとまで思ったことがあります。
きっかけはネット上の記事で取り上げていたのを見て、思いの外に内容が深くて驚きました。
筆を取ると、自然に何か書きたくなる。楽器を取れば音をたてたくなる。盃を取ると酒をのみたくなるし、サイコロを手にしていると博打を打ちたくなる。そんなふうに、心というものは、何か物に触れて動きだすものだ。だからかりそめにも、よからぬ戯れをしてはならないのである。
中野孝次. すらすら読める徒然草
やる気が出ないから行動しない、ではなくて兎に角、何かしら手にしてみると次の行動に移りたくなるようです。
また行動した内容(触れたもの)に感化されるので悪いことはしないように、との戒めも何だか身に覚えがあるような気もします。
たくさんあるうちの一つに過ぎませんが、約九百年前に書かれた内容です。
今でも心の深奥をつく内容で九百年前の人間の感性の豊かさ、鋭い視点に驚かされます。
そして九百年前の吉田兼好さんと対話をしているような気分になります。
ああそうか、遠い過去の人物と相対することを可能にするのが古典なのか、と気付かされました。
まるで過去の偉人にカウンセリングをしてもらっているような錯覚に陥ります。
古典を侮るなかれ。
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