カウンセリング機能
こんばんは。
以前何かのテレビ番組で、日本のスナック(カウンター越しに接客する飲酒店)とはカウンセリングの機能を果たしている、というのを見たことがあります。
断片的にしか覚えていないのですがそんな内容だったかと思います。
個人的に、スナックなどの飲酒店を営んでいる方の会話力はなかなか高いものがあると感じております。
彼らは「カウンセリング」とは意識していないことが多いように見受けますが、傾聴する力や質問する力は人によっては非常に高いものがあると思います。
一方では商売という前提があるので、心理的に巻き込まれず距離感も抜群だったりします。
衛藤先生は、来日していたアメリカ人大学教授を「スナック」に連れて行ったことがあります。
すると教授は、「ここはいったい、どういう場所なのか?」と首をひねったそうです。お店の女性たちが、お客様の話を一生懸命に聴いている。その様子を見て、「こんな場所はアメリカでは見たことがない。女性スタッフがお客の話をただ聴いているということは、もしや、ここはカウンセリングルームなのか?」と口にしたといいます。
衛藤先生が「ここは、お酒を飲むところです」と説明すると、教授は「日本にカウンセリングルームが少ない理由がわかった」と頷きました。
なぜなら、アメリカのようにカウンセリングルームを設けずとも、日本にはスナックという名前の「悩みや愚痴を、一生懸命に聴いてくれる場所」がたくさんあったからです。アメリカに戻った教授は、さっそく「日本でカウンセリングがアメリカほど必要とされていないのは、スナックがカウンセリングルームの代わりとして機能しているから」であり、「女性スタッフが、お客の話を一生懸命に聴くことで、期せずして、カウンセラーの役割を担っている」ことを論文にまとめ、発表しました(ユニークな論調が評価され、この論文は賞を受賞したそうです)。
ダイヤモンド オンライン
二千十三年の古い記事ではありますがこのような記事がありました。
カウンセリングの世界は玉石混交な側面があります。
しかし大学等で学んで公的な資格を取得していれば良いかというと必ずしもそうではないし、上記のようにスナック店員が上手に傾聴をしている場合もあります。
こちら(ユーチューブ:野島一彦のカウンセリング小話)で臨床心理士として実績のある野島一彦氏は『専門性と人間性の比率は3:7』と言っており、かならずしも専門性があれば十分というわけではないことがわかります。
また一口にカウンセリングと言っても非常に高度な専門性が求められる専門機関と、市井・一般市民生活で求められるものは異なるので役割分担はあって良いのではないかと思います。
カウンセラーとは名乗っていないけれどもカウンセリング機能を果たしている所は実は多かったのではないかと思います。
『多かった』と過去形で話したのでは例えばスナックにしてもコロナによってかなり数が減ったと聞いております。
また今時、喫茶店などにしても店員とカウンター越しにおしゃべりするよりはお客さん各位が個人の時間を過ごすことのほうが好まれる時代になっていたり、職場等でも相互に干渉しないの流れが十年前・二十年前よりも強くなってきているような気がします。
カウンセリング機能が徐々に弱まっていることが、巨視的には人々の心の健康の低下を招いている側面があるのではないかと感じております。
当事業所はスナックではありませんが、いつでもフラッと利用してもらえるという意味ではスナック的でありたいと思います。
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