清貧の思想に惹かれる
こんにちは。
堅苦しい題名にしてしましましたが、たまたま「清貧の思想」という本があることを知りました。
元々、ミニマリストとか鴨長明の方丈記の世界観が好きなのでちょっと気になっている図書です。
上記の「清貧の思想」で検索してみると面白そうなサイトがいくつも出てきました。
本当は贅沢しようと思えばできるのに
しかし、本当は贅沢しようと思えばできるのに、あえて質素に生きるのは、ただの貧乏とはまったく違います。
かつて世捨て人のように山中でひとり暮した賢者たちは、本当は知識も経験もあり、仕事だってしようと思えばできたし人並み以上の生活ができたのに、あえて何もない山中での不便な生活を選びました。
カブとタイ
こういう価値観が自分は好きです。
やむに止まれず、あるいは自業自得的に貧乏になったのではなく、敢えて自分から質素な生活を志向して行動するのは気高い感じがします。
清貧とは思想である。
(略)名声や利益に使われて、心休まる暇もなく、一生を苦しめることこそ愚かである
(略)著者の吉田兼好によると、地位や名声、富に囚われた人は愚者であり、己の心の充実さを求めるこそが最良であるという。このような考え方が日本人に広く行き渡り、共感を得て、これまで日本人の基本的な思想として定着した。
傷鴨日記
古典の教科書で読んだ徒然草にはこのような思想が載っているようです。(古典は苦手で各作品の話をほとんど理解しないままに終わったのは勿体なかった・・・)
自分から質素に価値を見出だす能動的な様子は、確かに「清貧とは志向」と言えるなと思います。
古代ローマの思想家セネカは、「人には全てを手に入れる力は持っていないが、物欲を自制することや今持っているもので満足することはその人自身の力である」という言葉を残したそうです。
なかなか難しいけれど、自制とか自律という自己管理力を感じて憧れます。
某サイトに「人生の達人ほど身軽になっていく」とあり、なるほどなあと思いました。
自分も物は少数精鋭でありたいと思うのですが、ついつい余白(時間的・物理的・精神的)があると物や行動で満たしたくなる癖がまだ残っております。
余白を味わい、余白を楽しみ、余白に満足するようになりたいものです。
Amazonでまた余計なものを買ってしまったかなと思う日々も相まって、「清貧の思考」を読もうかなと思う昼下がりです。
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![中田 雅也](https://i0.wp.com/yfs-soudan.com/wp-content/uploads/2024/01/8535d03b069ec160870354a44a287ba5.jpeg?resize=150%2C150&ssl=1)
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