中村俊輔選手
こんにちは。
昨日、サッカーの中村俊輔選手が引退するとの発表がありました。
とうとう引退か〜と寂しさがありますがこの年齢まで現役でやってこられたことを称えたいと思います。
中村俊輔選手と言えば圧巻のフリーキック、あの精度のキックは日本人選手では稀有でした。日本のサッカーが右肩上がりの成長していったトルシエ監督の時代、シドニーオリンピックやアジアカップでの活躍にとてもわくわくしました。
思えば彼はW杯とは縁がなかったり、怪我が重なって活躍できなかったりと必ずしも栄光だけの道のりではありませんでした。
南アフリカW杯での苦悩の話は相当なものであったことが語られております。
ずっとレギュラーでやってきて、怪我の影響もあって直前に控えメンバーになってしまいます。
怪我という不運、戦術との相性、監督の采配、いろんなものが絡んで訪れた結果だとは思いますが4年に一度のチャンスをピッチ上で最大限に発揮できない苦悩は当事者でなければわからない「地獄」なのでしょう。
「南アのW杯のときも、みんながシャワーを浴びているとき、俺は走っていた。悔しいし、惨めだけど、他の選手は試合をしたけど、俺は試合に出ていないから。そこで休むと、どんどん差が開いていく。それが嫌なんで、きついけど、走っていた。そのうち、岡崎(慎司)とか、森本(貴幸)とかが来て、一緒に走るようになった。苦しくて、もがいているときが一番伸びるときだから。それにしても、今考えると(あのときは)すごくもがいていたなと思う」
中村のサッカー人生で、最ももがき、苦しんだ時間だった。
(略)
「南アから3年後、スタッフにも恵まれてMVPを獲ることができたのは、あのとき、諦めたり、腐ったりしなかったから。あそこで、次に向かって準備することができたからだと思うんだよね。だから、今もこの年齢までプレーすることができている。ああいう苦しいとき、落ちたときこそ、チャンス。きついけど、そのときにいかに前を向けるか。その差があとになって、大きな差になって出てくる」
WEB sportiva
何だか、人生の向き合い方という面で多くの人に参考になる話のように思います。
苦しくてもがいている時は、例えば植物が上に伸びるように成長するのではなく、ひたすら地中深くに根を張るかのような一見してわからない変貌を遂げている時なのだと思います。
その時に得られたものが何であったかは数年後に明らかになりました。全ての物語が繋がっているのだなと心にジンときます。
苦労の全てが報われるわけではないけれども、大変な時ほどその人の力が試されて問われると思います。自分の誇り・自尊心・経歴など役に立たず、ただ一人の人間としてその時に何ができるのかに向き合う苦悩は想像を絶するものがあることでしょう。
個人的に、上記の話にとても励まされました。苦悩の意味、苦悩の時にどうやって意味を持たせて、活かすことができるのか。
彼はサッカーノートを書いていると聞いて少し真似したことがあります。たまに読み返すと面白いもので自分が過去の困難にどう向き合ったのかがよく分かります。自分はこんな困難に耐えることができたと自信にも繋がります。
動画の中で監督をしたいと言っているのですが彼のたくさんの経験が活かされることを思うの今後の活躍も楽しみです。
同い年の中村俊輔選手を見ながら、勝手ながら色々なことを思った次第です。
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