相手にとって
こんにちは。
ツイッターは「(見ていて)気づいたら時間が経っている」ため見過ぎは時間管理上、また個々の感情の発散も多い世界なので精神衛生上の注意が必要と認識しております。
それでも貴重な情報やきらりと光る言葉に出会える場でもあると思います。
今日は以下の投稿を紹介させていただきます。
援助するとはなんと奥が深く、繊細なのだろう。いつもそう思います。
自分が「出来ている」と思うと、その小さな慢心が心と技を曇らせて急に「出来ていなく」なることもあります。
「出来ている」は自分の主観です。しかし相手にとってはどうなのでしょうか。
「伝えた」ということにしても、行為者にとって「伝える」は容易いです。しかしに相手には「伝わって」いるのでしょうか。伝わらない伝えるであっては意味を成さないのではないのでしょうか。
上記のツイッター投稿を見ながら、これを考えていた若かりし日を思い出しました。
みんなどうやって、この繊細な勘所に気づいて、学んでいくのだろう。不思議だな、気づくとは出会いに近くて、自分の意思だけでできるのではなく授かりものに近い、と思います。
往々にして、自分にとってのうまくいったつもりは相手と一致しないことがあるものです。
だから「相手にとってどうだったか」が大事です。それは敢えて確かめるものでもありませんが、何かしら相手にとって役に立てたのであれば何よりなのだと思います。
口で言うのは簡単なのですが、実践するのは容易ではありません。
自分の主観、相手の心、それを見つめる客観を激しく切り替える作業(特に面接場面)は技量が求められます。
この技を言語化してくれた先人達の理論にたくさん学ばせていただきました。
拙いけれども自分もちょっとだけお裾分けのつもりで書かせていただきました。
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