優しさのバトン

こんにちは。
日常の悩み事「普段段使い」のカウンセリングの結い心理相談室です。

数多いサイトの中から、当事業所の記事をご覧いただきありがとうございます。

先日、小学生児童がICカードの残高不足に気付かずにバスに乗車して、運転手に謝罪を要求されたという事が報道されておりました。そして、炎天下、2時間歩いて帰宅したとか。

親御さんがバス会社に抗議したそうですが、この件で誰が悪いだの論争も起きたようです。

・・・何だか世知辛い世の中ですね。

僕は、児童の心が心配です。

まだ小学生低学年のため、この事態にどう対処して良いかすら分からなかったのではないかなと思いました。僕だったら、びっくりして、硬直してしまいそうです。

小さい時に、大人から厳しい態度で接せられたことは大きくなっても意外と覚えていると思います。そして、それが一般的な大人の態度、社会なのだと思ってしまったら・・・いろいろな面で損失が大きいと思いました。

運転手さんの状況はまったく分からないので、安易なことは言えません。

ただ、世間的には運転手不足とも言われるので、過重な労働状態にあったのかどうか。「余裕のない大人の対応」に見えてしまうので背景因子は気になります。

肌感覚の話ですが、人々の、特に余裕の無い大人が近年目立つようになったと思います。僕だって、余裕がなかったら、他者に厳しいことを言ってしまうかもしれない。

こちらは、地元の方のSNS投稿です。

こういうのを「ほっこり」というのでしょうね。

これを聞いて、思い出したことがあります。

僕が学生になって、都市部(僕にとっては大都会)で生活をして、慣れない市営バスに乗車した時のこと。

一万円札は持っていたのですが、小銭がなく、終着地点での下車の際に運転手から「一万円の両替はできない」と、言われました。

実は、冷たく言われたので実はショックでした。(こういうのって、意外と覚えているものです・・・。もちろん、普通に言ったのかもしれませんが、そう「映ってしまった」のです)

先の子供の話じゃないけれど、どうして良いか分からず、呆然と立ち尽くしていたら、ある女性が「これ使ってください」と千円札を差し出してきました。

急な申し出にびっくりしたのと、もらっていいのか、ためらっていたら、「どうぞ」ともう一言。ありがたく受け取って、バス賃を払って、きちんとお礼を言おうと思い、バスを降りてその人を探したのですが、もう見当たらなくなっておりました。

もう数十年も前の話ですが、忘れられない出来事です。

もうその人に会いようもないから、もし、今後、自分が同じ場面に遭遇したら、今度は僕が同じことをして、あの時のお返しをしようとずっと思っておりました。

実はまだ、その「お返し」はできておりません。けれど、いつか必ずお返ししたいと心に秘めております。

相手が本当に困った時に、差し伸べられた手のことは忘れないと思います。

そして、その人が、別の誰かに差し伸べるかもしれません。

そんな優しさの連鎖があってもいいはずと思う今日この頃です。

投稿者プロフィール

中田 雅也
中田 雅也結い心理相談室
青森県八戸市を拠点に普段使いのカウンセリング(日常の悩み事)と支援者への支援(援助職のためのカウンセリング)をご提供しております。

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