僕が役職に就いた時の話(三)
こんばんは。
今回は、役職に就いた時の話の(三)、最後です。
ちなみに、この記事を書いている理由は、支援者のミカタという僕のカウンセリングの専門の中の「支援者」の中に、部署や部門の長(管理職かどうかを問わず、いわゆるマネージャー職)を含めているからです。
なぜなら、マネージャー職は、組織・部門の支援者のような役割でもあり、マネージャー職への支援が不可欠だと考えるからです。
「指導」の中で最も頭を悩ませたのですが、「叱る」「注意する」ということでした。
例えば、看護部門は、いささか体育会系の要素があり、ビシバシ言うのが普通という下地があったと思います。しかし、少人数のソーシャルワーク部門は、それとはまた異なります。
個人的にも、言うべきをビシッと言うのがとても苦手で、普段から言いたいことを言えずに飲み込んでしまうことが多々ありました。だから、例えば、他部者から担当者について苦情があった、注意しないといけない振る舞いがあった時は、正直、胃が痛くなりました。
まず、周囲(多職種)やクライエントから苦情があって、それを伝えないという選択肢はありえないと思いました。伝えないことの方が、よほどに酷です。
そして、部署としての秩序、適正な業務遂行のためにも、言うべきは言わなければなりません。当然のことですが。
その上で、『僕だったらどうされたいか』を考えました。
苦情の対象となった「事実」を本人がどう認識しているかが大事だと考えました。それを確認しないで、頭ごなしに注意いたら、自分だったら、腹を立てて、それ以上、話を聞くのを止めることだってあり得るかも知れません。
何より、上司(係長)は責めたいのではなく、怒りたいのでもなく、一番は、起きた事実を見つけ直し、周囲の解釈(苦情)に相応する振る舞いがあったのかどうかを自己検証してもらい、それをどうすると良いか(改善)を、当事者と上司の間で共有した方針を立て、実践(改善行動)をすることです。
更に、基本的に、行動と存在は分けて考える、つまりは、対象は「行動」の検証と修正であって、相手の人格を論点にしている訳ではないということです。(結果的に繋がることもしばしばですが、それは相手の領域ゆえ、相手に任せる。)また、お互いに指導の後に悪感情を残さずに業務に前向きになれることを心がけました。
言い換えれば、相手を尊重すること、そのためには、内容にもよりますが、皆がいる前では言わず、できる限り、一対一の場で話すようにしました。
患者との対話が上手だと思う医師がおりました。
その医師は、例えば病状説明の場では「ご家族から見て、ご本人の状況はいかがですか」と尋ねて、家族が答えた内容に沿って、話を組み立てて、説明をしておりました。一方的に、言うだけ言って、対話にならない説明をする医師もいたりしますが、相互通行の会話は、見ていても心地良いものです。そこには、合意という概念があります。
僕も、自分の性格傾向を踏まえ、一方的な指導ではなく、対話に基づいて、相手の意思と理解、つまりは自律性に基づいた合意を大事にするやり方を、自然と取るようになっていたのだとおもいます。
時系列は異なりますが、サッカー日本代表の森保監督の手腕を見る、対話と信頼に基づく人身掌握、マネジメントが、僕が朧げながらに描いた、自分に適したやり方だったと思います。
時に、(僕にとっては)好き勝手な意見を言われると、腹を立てることも確かにありました。
ただ、「注意される」「苦情を受ける」ような事案では、僕以上に、実は当事者が傷付いているということもよく分かりました。誤解を恐れずに言えば、打たれ弱いほど、受け止める度量がないほどに、敏感に、過剰な反応を示すということもよく分かりました。
そんな人の心が分かると、多少は余裕を持って受け止められました。
漫画「ルーキーズ」の台詞の中に『生まれ変わることは簡単だ、己を見つめ直す勇気さえ持てればいい。』というのがいますが、指導に携わって、この通りだと思います。この勇気を挫かせないように、見守り、支えるということを僕は教わり、学びました。
後日談ですが、指導場面を振り返って、その相手に、「あの時、もし、僕が頭ごなしに注意していたら、どうなっていたかな。」と尋ねました。
すると「絶対、反発して、言うことを聞かなかったと思います。」と。
「じゃあ、あのやり方で良かったかな。」と再度尋ねると、「はい。」と言ってくれました。そして、根気強く指導してくれてありがとうと言われ、全てが報われました。
勿論、指導の必要性が生じた状況や相手によって、やり方は変わります。それでも、自分のやり方は間違ってはいなかったのだと、自信を持てた経験ができたことは僕に取って大きかったです。
僕の指導のやり方は、相手がクライエントであっても、ソーシャルワーカーであっても変わらないのだと思いました。
実際、クライエントに「指導」する時は最新の注意を払います。相手の思い、見えているもの、自律心を損ねないように。これは、一つの相手を尊重する行為に他ならないと思います。
ソーシャルワーカーの倫理綱領(例えば、社会福祉士会)に「人権」「尊重」という言葉は、たくさん登場します。しかし、それが実際にどれほど遵守されているでしょうか。
中には、クライエントには優しいけれど、同職者同士だと、それが全くないという話も聞こえてきます。
僕は教わりました。そのような姿勢は『嘘』になると。
僕もそう思います。確かに、実践は容易ではありません。それでも、それ無くしては、殺伐とした、互いに歪み合う職場となり、職務遂行力は低下するのは避けられないでしょう。僕は、そのような場にいたら。針のむしろにいるような、いたたまれない気持ちになって、出社拒否したくなります。
だから、綺麗事と思われても、この考えは捨ててならないと思います。
何より、自身の行いが、職能の倫理規範を否定する矛盾に陥るからです。
そんな訳で、マネージメント、特に指導に関わる場面だけを切り取って考えても、上司は部下の支援を行なっていると言えると思います。
それが人権への配慮、相手の尊重の実践でもあります。
「指導する」は、教え導くであって、上司が怒ることでもなく、ただ避難する訳もありません。
良き方向へと至らせること。もっと言えば、使役的にさせるのではなく、当事者に「こうしたい」「こうありたい」と自主的に改善像を描いてもらい、自発的な行動を手伝うことだと思います。
この考えは、役職についてから、今に至るまで変わらない考えです。
実戦は非常に難しいです。しかし、そういった信念が上司の内にあるかどうかは、雰囲気や言動の端々に現れると思います。だから、嘘はつけません。だから、本気で相手を労る熱意が根底にないとできないのだと思います。
そして、それを維持するためにも、支援者の心が枯渇したら、元も子もありません。
つまりは、上司も、部下も、共に支援の対象であるというお話しです。
投稿者プロフィール
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青森県八戸市・階上町を中心にカウンセラーとして活動しています。また、電話・オンラインカウンセリングもご利用いただけます。
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