プレイヤーとマネージャーの差異(一)
こんばんは。
『上司になればなるほど無能になる』という話を聞いたことがあるでしょうか。
何とも、恐ろしくも、ドキッとする言葉ですね。このことの意味は、以下の通りです。
特定の職階で優秀だったものが次の職階でも優秀である確率は低い。ただし上位階層のポストの数は少ないのでこれ自体はあまり問題でもない。問題なのは、確率論的にいって「特定の職階では優秀だったが次の職階では優秀でない人」が多数いるということだ。
彼らは新しい職階では評価されないため、さらに上位の職階に進まずに適性のない職階にとどまることになる。こうしたことがあらゆる職階で起こると組織の上層部は無能だらけになるわけである。
現代新書
個人的には、痛いほど、このことがよく分かります。
通常、日本の社会では、現場担当者(プレイヤー、いわゆる平社員)として、成果を上げて、認められた者が昇進して、係長や主任等の役職を経て、管理職に登用されると思います。
しかし、プレイヤーとして優秀であることと、マネージャーとして優秀であるかは全くの別問題です。なぜなら、集団(部署)として成果を出すべく、組織を束ねて、管理するのは、全く異なる能力を要求されるからです。
時には指揮官であり、時にはフォロワーであったり、このご時世は、特に柔軟な動きが求められるので、率直に簡単ではないと思います。
組織によって、このマネジメントを学ぶ過程が、研修等で担保されている場合もあれば、ある日突然、昇進が決まってやってくださいとなる場合もあり、多様だと思います。
僕は、系統立てて学べなかったのですが、他の組織で研修等で学びの段階を経た方の話を聞くと、『机上で教わっただけでは、全く分からない』とのことでした。僕も、机上では独学で学びましたら、確かに理論的な話を理解するのと、それを落とし込む、実践できるかは別問題であると、これもよく分かります。
例えば、一人の人間が(僕の場合は援助職として)、一人である程度に仕事ができるようになったと感じられるには、年単位で時間がかかるはずです。
それと同じように、マネージャーも、マネージャーとして熟練するには、時間がかかります。
そして、マネージャーとしての能力が開花するか、あるいは、開花とは言わずとも、マネージャーとしての役割をまずまず発揮できるかは、環境やその人の素養や努力など、さまざまな要素が絡んできます。
つまり、「上手く、やれなかった」という結果も、当然起こりうると思います。
僕も、マネージャー業務には、悪戦苦闘した一人なので、いっそプレイヤーとして、現場業務に没頭できて、自分のことだけを考えられていたらどんなに楽だっただろうかと、何度思ったか分かりません。
そのくらいに、頭を切り替えないとやれないのだと思います。
結果的に、冒頭の引用になるように、適性のない職階に留まり、残念なことに『無能な上司』と看做されるのは、本人にとっても、組織にとっても非常に辛いことだと思います。
プレイヤーとして、自信に満ち、成果も出せただけに、非常に苦しいものがあります。そして、往々にして、自信を失う、もっと言えば、自分を見失うと、まるで別人のようになってしまうこともあります。
ここまでくると、当人だけでは、制御しきれない状況となるので、やはり組織の人事全体としてのフォローが不可欠だと思います。
ビジネスサイトを見ていると、管理職の任期制を提唱している企業があるようです。
個人的には、良いことだと思いました。会社にとっても、当人にとっても見極めは大事です。マネージャーとしての素養があるか、業務を遂行できるかは蓋を開けてみないと分からないこともあります。
そして、どうしても適性がなかった場合には、役割を退くことができる余地があることは、安心材料となります。
進むことも、退くこともままならない閉塞感は、とても辛いからです。
昨今、管理職の成り手が少なくなっていると、いろいろな業界から聞こえてきます。
組織の存続にも関わることでもあるので、適正を見極めて、フォローしていく姿勢を打ち出すことは、とても大事なことであると僕も思います。
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