戦うべき対象と戦う
こんばんは。
僕はスポーツの話題をしばしば取り上げます。それは、真剣勝負の中にこそ、人間の弱さや課題が如実に表れ、その時の心の動きや向き合い方は、必ずしも競技選手ではなくても、誰にでも活かせる部分があると思うからです。
また、比較的、多くの方に知られている人物や競技であれば、より想像がしやすいと思うからです。
今回は、サッカー日本代表の森保監督です。
僕は、テレビやネット記事で見る範囲でしか知りません。ただそれでも、選手から賞賛される人柄の部分や腰の低さ、粘り強さなどから、日本人らしい日本人であると感じます。
以下のような記事を見つけました。
「戦う相手は3つあると言われて、それは相手、自分、環境。その中で最終的に戦えるのは相手じゃなくて自分の気持ちだけだということを、森保監督は理解している」
「メディアにあれだけ叩かれたり、カタールW杯前にあれだけ言われたら、そりゃメディア嫌いになるよね。彼はメディアと戦わない。戦うところを理解している。メディアとやり合っても疲れるだけ。サポーターに何か言われて、正論で返しても疲れるだけ。そんなものにいくら向き合って何かやっても、エネルギーを消耗するだけだと分かっている」
「俺はいまだに理解できない。戦っても無理なものと一生懸命戦おうとしているけど、選手時代はそういうものと戦っていた」
football-tribe.com
上記は、森保監督と共にドーハの悲劇を経験した、福田正博氏の言葉です。
ここから、森保監督の非常に賢い部分が分かります。
ここでの賢いとは、思考の的確さもそうですが、自分を制する意思の強さも含めてです。
変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ。
ラインホールド・ニーバー
以前にも紹介したことがある言葉ですが、森保監督はこの見極めがしっかりできているということを福田氏は言われているのだと思います。
自分と戦うというのも、実は一番大変なことだと思います。むしろ、自分にさえ勝てたら、他にはそれより容易に勝てると言えるくらいだと思います。
そして、哲学者エピクテトスの言う、自分の制御下にあるものに全力を尽くすという考えの実践そのものだと思います。
こういった格言を良い話だなと眺めるのは簡単ですが、実践している人はとても少ないと僕は思います。
そんなすごい人だからできるんだよ。
そう思うかもしれません。しかし、それでも過去の偉人ではなく、同じ時代の人間がやっているのですから、僕らにもできないことはないはず、と僕は期待を持ちたいです。
「戦う」の定義も、人によって、置かれた状況によって異なると思います。
しかし、それでも必死に取り組む事柄があるのなら、それは戦いと言っても過言ではないと思います。大事なのはその人にとってどうかです。
戦うべきと戦い、挑んだ先にどんな景色が見えるのか。森保監督も挑んでいる最中。僕らもまた同じように挑んでみたら、新しい景色が見えるかもしれません。
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