始める自由と終える自由がある
こんにちは。
某漫画で「心の友」という台詞がありますが、僕にも数少ないですが心の友と言える人がおりました。
かつては、よく夜遅くまで職場で仕事論について語っていたものです。とても真剣に仕事のことを考えながらも、そうかと言って気負い過ぎず、どうにもならないことには「ま、いっか」と言える柔軟さがありました。
その友が口にしていた言葉で、今でもよく覚えている言葉があります。
『始める自由があるなら、終える自由もある。』という言葉です。
僕が或る役割を引き受けるかどうかを悩んでいた時に、言ってもらった言葉です。
役割にもよりますが、人々があまりやりたくはないけれども、大事な役割が世の中にはたくさんあります。僕は、その役割を引き受けたら、辞められずに、延々と続けていくことになるのではないかと気に病んでいました。
だから、言われて、なるほどな、と思いました。
打診を受けて、引き受けるかどうかを最初に選択(決断)します。それと同じように、終える(役割を降りる、止める)自由を行使することもまた、保証されるべきだと彼は力強く、口にしておりました。
きっと僕だけでなく、平均的な日本人は「引き留め」に弱いでしょうから、彼の言葉は、十年以上経った今でも、多くの人々に通じる言葉だと思います。
そして、思うのです。
新しい何かを始めるならば、何となくではなく、やる理由(やらなければならない理由、目標)を持った方が良いと。そうでなければ、信念がなければ流されて、翻弄されることになると思います。
もし、明確な考えがあったのなら、辞める際にも、明確な理由が持て、自分は○○の故に終えますと言えるのではないかと思います。
そうすれば、引き留められたとしても、相手の顔色や自分のあやふやな心情に揺さぶられ、流されることなく、自分の意思を伝えられるはずです。
始める自由と終える自由の「自由」とは、自分の意思を前提にしております。
自分はどんな意志を持っているのか、まずそれを確認しなければなりません。何事も、良い時もあれば、悪い時もあります。それでも始める、続ける意義を自分は持っているだろうか。事が始めれば何度となく問われることがあります。
最初から意志が明確ならば、それも良し。最初から明確であり続ける意志とは、実は稀だと思うので途中で問われ磨かれるのも良しです。
続ける理由が見つけられなければ終えるも良し。動機づけの伴わない継続ほど苦痛なものはありません。
始まりと終わりの自由とは、取り組んだ事柄に対する関係性そのものです。どのくらい関係が深まるかは、事前に予測できる部分もあれば、始まってみなければ分からないこともあります。
始めるからには理由があり、続くからには理由があり、終わるからにも理由があります。それぞれに自由が与えられているのですから、取り組んだその事柄と、どんな関係を結んでいきたいですか、と自らに問うと、何か新しい気付きがあるかもしれません。
終えられるという安心、袋小路でもない安心感があるなら、まずは挑んでみようかと少しは思えるのではないでしょうか。
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