何によって自分を支えようとしていたか
自分は自分、他人の期待に応えるために存在するのではない。
以前も取り上げたゲシュタルトの祈り。
どのくらい、他人の期待に必死になって応えようとしている自分がいるのか。
まず、そこに少しずつ気付くことが大事です。
僕はかつて、ソーシャルワーカーの仕事にのめり込みすぎて
それだけでなく、僕自身の心の持ちようという課題も相まって
クライエントや同僚、組織内で働く他職種などの期待に応えなければならないと
強く囚われた時期がありました。
もし期待に応えられなかったら、どうなるのだろう。
自分の存在価値を失うのではないか。
自分は有能でなければならない。
そんな思いには随分と駆られました。
もちろん、職能を楽しみ、喜ぶ気持ちもあります。
誰かに心から喜んでほしいとの純粋な思いもあります。
しかし、気付かぬ内に、そんな思いよりも、『応えなければならない』に
支配されるようになりました。
休職するほどではありませんでしたが、そこそこボロボロになり
何かがおかしいと自分でも気付き始め
「他人に求められ、忙しくしている自分にこそ、価値がある」との囚われに気付き
ようやく自分の働き方、もっと言えば、生き方を改めるに至りました。
冷静に考えれば
「何故、他人の期待に応えられなかったら、自分は駄目になるのだろうか」と
思わずにはいられません。
人生において、仕事をしている時間はとても長いです。
その多くの時間を、喉元に刃物を突きつけるようなやり方をしていては身が持ちません。
もし「僕は、他人の期待に応えなければならない」と思うのなら、僕は他人の奴隷です。
僕は他人の期待に応えようとすることもあるけれど、それが全てではありません。
こういったことを経験して、「何によって自分を支えようとしていたのか」を知ることができました。
何かが苦しくて堪らないという状況は、自分自身や自分の環境の課題を知る時です。
それを探ることは、もしかすると苦しく、痛みも伴うことかもしれません。
しかし、それを見ないままに過ごしても、何も良い結果をもたらさないと思います。
自分が置かれた環境、自分自身、その中で発せられるメッセージがあるなら耳をすませることを勧めます。
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